日経サイエンス 

別冊194:化石とゲノムで探る人類の起源と拡散

21世紀の人類学の始まり

篠田謙一(国立科学博物館)

51194-1 この別冊には,2006年から2013年にかけての8年間に日経サイエンスに掲載された自然人類学関連の20編の記事が収録されている。この間にはヒトの系統やホモ・サピエンスとネアンデルタールの関係などについて従来説を覆すような発見があり,掲載記事を通読することによってその変化を知ることができるだろう。
 現在,自然人類学は「ヒトとは何か」という問いに答えるために,化石や遺伝子の研究を中心として,さまざまな分野での研究が進んでおり,最新の記事を集めた本書は21世紀の統合学問としての人類学を知るよいガイドとなっている。そこで最初に掲載記事を参照しながらこの間の研究の進展について概観し,今後の人類学研究が解決すべき課題と進む方向を考えてみることにする。

 

化石研究の実際と将来
 最近報告されたヒトとチンパンジー,ゴリラ,オランウータンの全ゲノム配列を用いた分岐年代の研究(6ページの参考文献1)では,ヒトの系統とチンパンジーの分岐年代はこれまでのDNA研究から考えられていた値より古い600万~ 760万年前という年代が提示されている。これは,現時点で最も古いヒトにつながる化石であると考えられているサヘラントロプスの存在時期とオーバーラップしており,遺伝子と化石の証拠は,ほぼこの時期に分岐が起こったと予想していることになった。 2008年に描かれた「人類の系図」に掲載されている人類進化の系統図もサヘラントロプスを出発点に置いている。この系統図は現在もっとも多くの研究者に支持されているものと考えられるが,「セディバ猿人の衝撃」で紹介されている化石に関しては,この時点で報告がされていなかったために記載がない。セディバの記事にも系統図が掲載されているが,こちらの図ではセディバをホモ属の祖先として位置づけようとしているために,アファレンシス以降の系統関係が冒頭の「人類の系図」とはかなり異なったもの
になっている。セディバに関しては複数個体が見つかっていること,並外れて保存状態が良いことなどから画期的な発見には違いないが,それをこの記事のようにホモ属の祖先に置くことに同意する化石人類の研究者は少ないだろう。現状では,セディバの系統的な位置は確定していない。
 ホモ属はおよそ200万~ 250万年前に出現したと考えられており,今後も東アフリカや南アフリカで,その起源となる化石の探索が進むことは間違いない。アウストラロピテクスからホモへの移行の実態の解明は,ヒトとは何かという問いに新たな解釈を付け加えることになるので,今後もこの時代の新たな化石の発見は大きな関心を持って受けとられるはずだ。
 20世紀の末までに,100万年前から400万年前に生存したアウストラロピテクス属に関しての研究が蓄積され,その系統や形態については多くのことが判明している。また新たな化石の発見は続いており,「猿人ルーシーの子ども」では,330万年前のアファレンシスに関する最新の研究結果が紹介されている。一方,チンパンジーとの共通祖先と分岐した,700万年前以降の進化の様子についても,近年新たな化石の発見とその分析による研究が行われるようになっている。
 「人類の起源 崩れる祖先像」は440万年前のラミダス猿人の形態に関する報告で,この記事では,これまで漠然と捉えられてきたヒトがチンパンジーに似た類人猿からいくつかの中間過程を経て直立したという,段階的な進化の姿が否定されている。ただし,ヒトとチンパンジーの共通祖先がどのような姿をしていたのかもわかっていない現状では,この時期の形態の進化の様子を知るために,さらに多くの化石証拠と研究の蓄積が必要だろう。アウストラロピテクス属に関する知識がある程度蓄積した現在,アフリカの化石人類の研究は上述したホモ属の誕生前後と,この700万年~ 400万年前の初期猿人の段階での進化の解明,あるいはチンパンジーとの分岐前後の類人猿の姿の探求が中心となっていくと予想される。なお,この記事ではアウストラロピテクスに至る複雑な進化系統が強調されているが,監修者の諏訪はまた違った意見を持っている。諏訪のコラムも併せて読むと,化石の形態進化や系統をどう捉えるべきかについての理解を深めることができるだろう。 アフリカ以外で出土した人類化石としては,グルジアのドマニシ遺跡から出土した原人化石が最古であり,2011年には石器の研究からその年代が185万年前まで遡ることが報告されている(参考文献2)。ドマニシの原人の存在はアジアでも200万年近いタイムスパンで人類進化を考える必要があることを示している。2003年に発見されたホモ・フロレシエンシスについては,過去にも取り上げられている(「人類進化の定説を覆す小さな原人の発見」日経サイエンス2005年4月号,別冊日経サイエンス151『人間性の進化』に収録)。「フロレス原人の謎」は,その続編とも言うべき論考である。化石の解釈のひとつであった病気のホモ・サピエンスではないかという学説はほぼ否定されているが,依然としてその系統的な位置については議論がある。なお,コラム欄で紹介されているフロレシエンシスの発見者マイク・モーウッドは本年7月27日に亡くなった。スラウェシ島の遺跡でフロレシエンシスやその先祖の化石を探していたということで,その死が惜しまれている(50ページ「ホモ・フロレシエンシスとの遭遇」を参照)。
 しかし,この地域からは今後も私たちを驚かせるさらなる発見が報告されるはずだ。21世紀におけるアジアの化石人類の研究は,このフロレシエンシスや後述するデニソワ人などを含む複数の人類集団が存在したことを明らかにしており,この地域における人類進化が従来の想像以上に変化に富むものであったことが示唆されている。今後はアジア地域でも系統関係の整理や形態進化の状況の解析を中心とした研究が進んでいくことになるだろう。私たち以外の人類が,アジアという多様な環境の中で,どのように適応し進化していったのかを知ることは,人類の持つ普遍的な特徴を浮かび上がらせることになる。今後は新たな化石の報告が続いている中国を中心に,DNA研究の成果も取り入れた形での研究が進んでいくことになるだろう。

 

DNAの時代の行く末
 前世紀末から始まったDNA研究は,人類学の分野を大きく変えることになった。研究の進展がさらに加速することは間違いなく,遺伝子解析はこれまで以上に人類学分野で大きな比重を持つことになることは確実である。21世紀になってDNA配列の解読技術はさらに進み,人類学分野での研究の方法も得られるデータの質も変化している。そのきっかけとなったのは次世代シークエンサーのメーカーである454ライフサイエンシズの創立者ジョナサン・ロスバーグが,DNAの二重らせん構造を発見したジム・ワトソンの全ゲノム解析に続いて,ネアンデルタール人のゲノム解析プロジェクトを立ち上げたことだった。
 次世代シークエンサーは従来のDNA研究の姿を完全に変えてしまうポテンシャルを持っている。これまでの古代DNA分析では,解析のターゲットとする領域のDNA配列をPCR法で増幅するという手法を用いていたが,次世代シークエンサーはサンプルに含まれるDNA断片を網羅的に配列決定する。現状では数百塩基程度のDNA断片しか読み取ることができないが,そもそも経年的な変性によって100塩基以下に断片化されている古代試料由来のDNAにとってこれはむしろ好都合で,今後の古代ゲノム解析は次世代シークエンサーを使ったものにシフトしていくことは間違いない。
 2010年5月にスバンテ・ペーボの研究チームは次世代シークエンサーを使って得られたクロアチアのビンデジャ洞窟から発掘された3体のネアンデルタール人女性のゲノムのドラフト(概要)を発表した(参考文献3)。その報告の中で最も注目されたのは,ヨーロッパ人とアジア人には数パーセントの割合で,ネアンデルタール人のDNAが伝わっているという事実だった。おそらくアフリカを出た直後にホモ・サピエンスはネアンデルタール人と交雑したのだろう。ペーボたちが1997年にネアンデルタール人のミトコンドリアDNAの解析結果(参考文献4)を発表して以降,報告されている全てのネアンデルタール人のDNAからはホモ・サピエンスのミトコンドリアDNA配列が見つかっていなかったので,ネアンデルタール人とホモ・サピエンスは交雑していなかったと考える研究者が多かった。一方,現代人集団の核ゲノムの研究からは相反する結論が導かれており,本書に収録されている記事の中でも「創始者変異でたどる人類の足跡」では混血が否定され,「ゲノムが語る人類の拡散」では肯定する学説が紹介されているように結論は出ていなかった。なお,混血が肯定されたことは,決着を見たと考えられていた現代人の起源論争にも影響を与えることになった。遺伝子から見れば,ホモ・サピエンス以外の人類の完全な絶滅は否定されることになり,現在の定説である「新人のアフリカ起源説」は一部修正する必要がある。本誌の掲載記事でも2009年に書かれた「ネアンデルタールのたそがれ」はホモ・サピエンスとネアンデルタール人の能力の差が強調されているが,2010年9月号の「ネアンデルタール人は賢かった」はシンボルを創作して使うネアンデルタール人の姿を紹介している。これも交雑という事実が記事の内容に影響を与えているのだろう。

 

 本書では主題としては取り上げられていないが,2008年にシベリア南部のデニソワ洞窟で発見された人骨のDNA分析の結果も人類進化を考える上で特筆すべきものである。この人骨は,2010年3月にミトコンドリアDNA配列が発表され(参考文献5),ホモ・サピエンスともネアンデルタール人とも違う人類である可能性が示され,続いて2010年12月には全ゲノムの解析結果が公表された(参考文献6)。ミトコンドリアDNAの分析では,デニソワ人は約104万年前にネアンデルタール人と現生人類との共通祖先から分岐したと推定されていたが,核DNAの分析ではまず約80万4000年前にデニソワ人とネアンデルタール人の祖先が現生人類と分岐し,約64万年前にネアンデルタール人とデニソワ人が分岐したと修正されている。同じ年に異なる結果が公表されたことで,解説書などの中にも混乱した記述が見られる事態になってしまった。この研究でもホモ・サピエンスとの交雑を確認するために現代人のゲノムとの比較がなされ,メラネシア人のゲノムの4~ 6%がデニソワ人固有のものと一致することが判明し,彼らとデニソワ人の間に交雑があった可能性が指摘されている。現代人のゲノム解析からも未知の人類との間の交雑が予想されており,異種間の交雑が従来考えられていたよりも頻繁におきていた可能性が示されている。「混血で勝ち残った人類」では現時点で判明している,ホモ・サピエンスと他の人類との交雑についてまとめられている。
 遺伝子の系統分析はホモ・サピエンスの拡散に関する詳細なシナリオを描く。「ゲノムが語る人類の拡散」にはその成果が記述されているが,出アフリカの時期とルートについてはいまだ定説がないのが現状で,最近ではDNAが予測する6 ~ 7万年前以前に,ホモ・サピエンスが中東や中国に生存したことを示す証拠も提示されている(参考文献7,8)。また近年では炭素年代測定法が改良されたことで,ヨーロッパへのホモ・サピエンスの進出時期などに修正が加えられている(参考文献9)。今後はDNA分析が示す拡散のシナリオを考古学や化石人類学,年代測定学,古環境学といった分野のデータで検証していく作業が進められることになるだろう。
 遺伝子自体の働きが解明されることによって,人類拡散のモデルの構築ではなく,そもそも何がヒトをヒトたらしめているかという本質についても,DNA研究からのアプローチが始まっている(「DNAに見えた『人間の証し』」)。すでにゲノム情報のあるネアンデルタール人やデニソワ人の解析からも,ホモ・サピエンスの誕生についての手掛かりが得られるはずだ。次世代シークエンサーが吐き出す大量のゲノムデータからは,これまで私たちが知ることのできなかった人類の本性に関する知見が生み出されることが予想される。しかしその解析は従来の生物学の研究者の手に負えるものではなく,コンピューターを駆使するバイオインフォマティクスの研究者によってなされることになるのだろう。ただし,ゲノムの特定の配列が我々とネアンデルタール人を分けているということがわかったとしても,それ自体がホモ・サピエンスの本質を示しているわけではない。解釈を行うためにはヒトの進化に対する幅の広い理解が必要で,今後もそこに人類学という学問の成立する基盤があることには変わりはない。

 

別冊日経サイエンス194 「化石とゲノムで探る人類の起源と拡散」目次へ

著者

篠田謙一(しのだ・けんいち)

国立科学博物館人類研究部・人類史研究グループ長。博士(医学)。 1955年静岡県生まれ。京都大学理学部卒業。佐賀医科大学助教授, 国立科学博物館人類第一研究室長を経て2009 年より現職。専門は 分子人類学で,日本や中国,台湾,ベトナムなどアジア各地の古人骨の DNA解析から日本人の起源を追求している。また,南米アンデス先住 民のDNA解析から,その系統と社会構造について研究している。著書 に『日本人になった祖先たち』(NHKブックス,2007年),『インカ帝国─ 研究のフロンティア』(島田泉と共編著,東海大学出版会,2012年)など。