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別冊175  宇宙大航海

別冊175 はじめに

日経サイエンス編集部 編

 今から100年前の1910年,日本の空を飛行機が初めて飛んだ。ドイツとフランス製のプロペラ機だったが,その時から私たちは天に至る階段を上り始めた。その後,国産機が登場,ペンシルロケットを経て,60年後の1970年に初の人工衛星「おおすみ」を打ち上げ,宇宙に進出した。99年後の2009年には若田光一宇宙飛行士が国際宇宙ステーションの実験棟「きぼう」を完成させ,日本人で初めて宇宙に長期滞在した。

 

 そして100年目の2010年,月よりはるかに遠い小惑星「イトカワ」を訪ねた探査機「はやぶさ」が地球帰還を果たした。さらに同年,世界初の宇宙ヨット「イカロス」が宇宙で帆を広げ,金星に向けて旅立った。「太陽系大航海時代の幕が開けた」と,「はやぶさ」プロジェクトマネージャーを務めた宇宙航空研究開発機構(JAXA)宇宙科学研究所の川口淳一郎教授は話す。

 この100年,私たちの天を見つめる視線もどんどん遠くへ伸びていった。終戦直後の1949年,北アルプスの乗鞍岳山頂に建設された天文台で観測が始まったのは最も近い恒星,太陽だった。その後,国内における天文観測の時代が続いたが,1990年代末,富士山より高い標高4200mのハワイ島マウナケア山頂で「すばる望遠鏡」が稼働,日本の天文観測は世界のトップに躍り出た。「すばる」が見せてくれる壮大な星の世界は,宇宙船のデッキから眺めた景色のようだ。

 「すばる」は私たちの目で見える光,可視光と,それより少し波長が長い光,赤外線で宇宙を見ている。しかし,星々は可視光と赤外線以外にもさまざまな種類の光,例えば電波や紫外線,X線,ガンマ線などでも輝いている。星が大爆発して最期を迎える際には,光以外にニュートリノという素粒子が大量に放出され,時空の歪みである重力波も生み出される。こうした分野の宇宙観測も最初の頃は米国がリードしていたが,日本も世界に伍して研究を進めている。奥飛騨山中の地下1000mに建設された「カミオカンデ」が1987年,星の爆発(超新星)で生み出されたニュートリノ「超新星ニュートリノ」を世界で初めてとらえたことはよく知られている。

 一握りの宇宙飛行士を除けば,私たちはいまだに地球の上で暮らしている。しかし,「はやぶさ」「イカロス」のような探査機や,「すばる」「カミオカンデ」などの観測装置を使うことで,私たちは居ながらにして広大な宇宙を“航海”し,その風物を楽しめるようになった。本書では,世界をリードする日本の惑星探査と天文研究について,最新の成果を紹介し,今後を展望する。

 

 第1章「太陽系を旅する」は惑星探査と宇宙開発がテーマ。「『はやぶさ』60億キロの旅」では太陽系探査の歴史に残る困難に満ちた「はやぶさ」の道のりをプロジェクトマネージャーの川口教授がつづった。「『はやぶさ』が誕生するまで」は同じく川口教授による「はやぶさ」誕生譚。「『はやぶさ2』にゴーサイン」では,動き始めた「はやぶさ」後継プロジェクトを紹介する。銀色に輝く大きな帆で太陽光を受けて進む宇宙ヨットは構想されてから約1世紀を経て初めて実現した。「快走!宇宙ヨット『イカロス』」では,世界初の宇宙ヨット「イカロス」がいかにして実現したか,若きリーダーであるJAXA宇宙科学研究所の森治助教の協力を得て詳しく紹介する。「『あかつき』金星へ」は「イカロス」とともに金星に向かっている探査機「あかつき」の概要説明だ。「宇宙滞在138日と『きぼう』完成」では,若田さんの宇宙での仕事ぶりと暮らしを豊富な写真で振り返る。

 

 第2章「すばる望遠鏡の活躍」では日本の天文学研究のエポックとなった「すばる」を取りあげる。「すばる」によって私たちの宇宙観がどのように変わったのか,「すばる」を擁する国立天文台ハワイ観測所長を2010年5月末まで務めた林正彦東京大学教授がつづったのが「ファーストライトから10年 『すばる』が明らかにした宇宙」だ。「『すばる』が見た渦巻銀河M33 銀河考古学の扉を開く」は国立天文台の有本信夫教授の協力を得てまとめた銀河宇宙の写真記事。「『すばる』で迫る暗黒エネルギー」では,21世紀最大の謎と呼ばれる「暗黒エネルギー」の正体解明を目指すプロジェクトを,リーダーの一人である須藤靖東京大学教授の協力を得て紹介する。

 

 第3章「137億年の時空を遡って」では,「すばる」以外の宇宙観測の最前線に焦点を当てる。現在,「すばる」があるマウナケア山頂よりさらに高い標高 5000mの南米アンデス山中の荒野で,山手線サイズの巨大な電波望遠鏡を実現させる計画が日米欧共同で進んでいる。「世界最大の電波望遠鏡『アルマ』」はその建設最前線の報告だ。「重力波天文台の開発大詰め」は,いまだに誰も成功していない重力波の直接検出に挑む研究現場のレポート。「カンガルー望遠鏡が拓くガンマ線天文学」では,東京大学宇宙線研究所が取り組んでいるオーストラリアの荒野での宇宙ガンマ線の観測を紹介する。日本は「カミオカンデ」による超新星ニュートリノの観測以来,宇宙ニュートリノ研究で世界のトップを走っているが,その次世代のプロジェクトが「ハイパーカミオカンデ構想」。「総力戦で初期宇宙に迫る」では,史上最強の加速器LHCを用いた「アトラス実験」や,正体不明の暗黒物質の直接検出を目指す「エックスマス」など,約137億年前に起きた宇宙誕生のビッグバンに迫るさまざまなプロジェクトを概観する。

 

 第4章「宇宙と向き合う」では日本の天文学,惑星科学の歩みを振り返る。太陽系の起源と進化を探る重要な手がかりの1つに隕石がある。日本の南極観測隊は数度の隕石探査を行っているが,「隕石探索南極大陸4000キロ」では,1998年10月から翌年2月にかけて行われた探査行の模様を,リーダーを務めた国立極地研究所の小島秀康教授がつづった。「乗鞍と宇宙」は戦後日本の天文学の出発点となった乗鞍コロナ観測所の物語。「天文学の巨星林忠四郎」では,日本の理論天文学の礎を築き,2010年2月に89年の生涯を閉じた林忠四郎博士を回顧する。「宇宙誕生の謎に挑む 日本のリーダー村山斉」では,現在の理論研究のリーダーである東京大学数物連携宇宙研究機構の村山斉機構長を紹介している。

 

 この別冊は月刊誌「日経サイエンス」に掲載された記事を再録,編さんした。紹介されているプロジェクトの多くは現在,進行中のものなので,再録にあたっては,内容をできるだけ最新の情報に差し替えた。また,著者と本文中の人物の肩書きなどは2010年10月時点のものに改めた。

2010年10月
日経サイエンス編集部

 

 

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著者

日経サイエンス編集部 編