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別冊172  数学は楽しい Part2

まえがき 数学の大海に漕ぎ出そう!

瀬山士郎

 別冊日経サイエンス169『数学は楽しい』は幸いなことに,多くの読者に好評をもって迎えられた。数学という文化が日本社会の中にきちんと根付いてきている大切な証でもある。数学という学問の裾野は広い。『数学は楽しい』でページ数や分野の関係で,残念ながら掲載を見送らざるを得なかった記事はたくさんあった。それらの記事をもとにして,ここに別冊日経サイエンス172『数学は楽しい Part2』をお届けできるのはとても嬉しい。

 

 

 『数学は楽しい』でも述べた通りだが,数学は決して孤立した学問ではない。ややもすると数学は孤高を保つ学問のように見られるが,数学も人が創りあげてきた文化であるから,歴史,時代と共に息づいている。高度な純粋数学がその一つのピークであることは間違いないが,ピークは1つではないし,ごく普通の人が楽しい散策を満喫できる高原も広がっている。

 

 私たちは「学習」というと普通に「勉強する」ということと思いがちだが,心理学では学習とは「経験による,比較的永続的な行動の変容」と捉えるらしい(『高座心理学』佐藤浩一/井上智義著,あいり出版)。数学も経験から始まる。普通の人にとって,数学的経験とは小学校から高校までの学校数学の別名であり,その経験が大部分を占めると思われる。しかし,学校で学ぶ数学は本来は数学的経験の一部なのであって,その他にも数学的な経験は存在する。子どもたちの日常生活での数の使用も数学的経験の1つだろうし,分配,過不足,組み合わせなどのいろいろな問題を解決するために,類推,帰納,仮説,演繹などさまざまな思考を駆使することも重要な数学的経験の1つである。

 

 ところで,数学は抽象的な思考,概念を研究の対象とする学問である。その性格上,比較的早い段階から,数学は日常経験からの離陸を始める。数学的経験は残念ながらウサギではない。頬杖ついてひなたぼっこで待っていたのではやってこないのである。ここに数学「学習」の1つの意味がある。数学の日常性からの離陸は小学校の分数の学習のあたりから始まっているといってよい。少し極端にいってしまえば,私たちは日常生活で使用するために分数を学んでいるわけではない。私たちは1/13などという分数にそう簡単に出会うことがないし,使うこともほとんどないのである。では,小学生はなぜ分数を学ぶのか。それは分数を学ぶことが抽象的な数学的思考への第一歩だからであり,分数の概念や演算を経験することが,子どもたちにとって,心理学でいう「比較的永続的な行動の変容」につながっていくからに他ならない。そしてその経験は,述べたように待っていたのではやってこないのである。しばらく前に,使ったことがないから教える必要はない,という皮相かつ浅薄な教育観が中学校数学に反映されてしまったことがあったが,さすがに現在ではそのようなことはないようだ。数学は日常使うためだけに学ばれるのではない。数学的経験を豊かにし,「永続的な行動の変容」を実現するために学ばれるのである。その点にこそ,良質な数学的経験の重要性がある。そしてなにより,「よい数学的経験は楽しい!」のである。

 

 この別冊にはそのような良質な数学的経験を保証してくれる14編の解説が収められている。最初に書いたように,数学の裾野は広い,少し風呂敷を広げていってしまえば,森羅万象,数学の対象にならないものはない!ということになろうか。すべてが数学といってしまうと,対象が拡散しすぎてなにもいわないことと同じになってしまうが,それでも収録された論説から,数学がいろいろなところに顔を出していることが分かる。

 

 『数学は楽しい』でも扱ったが数学的経験と遊びとは切っても切り離せない関係にある。収録した論文からも,子供時代から親しんできた遊びの中に,思いもかけない遊びの数理が潜んでいることが発見できるはずである。ただし,パズルは楽しい,しかし,決して易しくはない。解けないことを楽しむのも数学的経験の1つなのです。

 

 つぎに,『数学は楽しい Part2』では前回残念ながら見送らざるを得なかったコンピューター関連の記事を収録した。ただし,コンピューター関連の記事といっても,読んでいただければ分かるように,少し毛色が変わっている。どう変わっているのかは読んでみてのお楽しみとしておくが,コンピューターが単に数学や科学技術の道具ではなく,もう一つの側面を持っていることが分かっていただけると思う。

 

 これらの論説は,いわば数学の周辺部をトレッキングして回るという雰囲気だが,少し本格的な数学も用意した。前回では序文でしか触れることができなかった4色問題の解決(1976年)の証明者自身による解説である。未解決の難問だった4色問題はどのように証明されたのか。その中で,コンピューターが果たした役割をもう一度考えてみたい。証明とはなんなのかをかんがえるきっかけになるはずである。『数学は楽しい』に採録した「構成的数学」とあわせ読むとさらに面白いだろう。

 

 ところで,数学は数・学である。そう,数はやはり数学の中心の1つなのである。しかし,数について私たちはどれくらいのことを知っているのだろう。数は無限にたくさんある,いくらでも大きな数があることは小学生でも感覚として知っている。1をたせばいい!ではその逆,いくらでも小さい数があるということはどうだろうか。微分積分学は極限という概念を考え出し,無限を操作の対象として手なずけることに成功した。それでも多くの人は分母を0に近づけるという操作に多少の違和感を持つかも知れない。ライプニッツはそこを無限小という不思議なアイデアで切り抜けようとした。無限大と無限小。これを現代数学がどのように考え,どのように扱っているのかを鑑賞してください。

 

 

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【編者】瀬山 士郎(せやま・しろう)
群馬大学教授,数学教育協議会副委員長。1946年生まれ。東京教育大学大学院理学研究科修了。1970年から群馬大学教養部・教養学部に勤務。専門は位相幾何学,線形代数学。社会人向けの講演会でも人気のある数学者で,現代数学をわかりやすく解説するほか,数学教育におけるさまざまな課題にも取り組んでいる。

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