
この動物記は、学者が書いた専門書ではありません。ただ、鳥や動物が好きなだけの一青年が南米に渡り、自由気ままに彼らと付き合い、自分の主観をもとに
書き下ろした記録です。私は様々な形で生きものたちと接してきました。鳥ひとつとっても、籠の中で飼うことから始め、その後、バードウオッチングを楽しむ
かと思えば、剥製や標本作りも経験しました。ある時期は鶏のワクチン製造に従事していたこともあり、その時は、鶏の雛や親を実験材料として扱ったこともあ
ります。
そして、最終的に到達したのは、彼らを写真に撮ることでした。しかし、そこまで到達するのに、随分長い時間がかかってしまいましたし、その間、犠牲になっ
た鳥たちの数は、はかりしれません。特に、サルタ市で射殺したキバラオオタイランチョウの死に様は、私の生きものに対する見方を決定づけました。この鳥
は、常に私を威嚇しながら、いまだに心の中で生き続けています。
同様に人間の存在も、無視できませんでした。私は人間社会に溶け込むことができずに日本を飛び出したのですが、どんな僻地に行こうが、そこには常に人間が
生活していました。私が夢見ていた自然の中で鳥や動物に囲まれて、一人、ターザンのように生活するなどということは、私の気弱さからも不可能でした。ま
た、地元の人々の協力がなければ、私は一歩も歩けなかったでしょう。今まで鳥や動物にしか興味をもっていなかった私ですが、現地で出会った人間に次第に惹
かれるようになったのです。
そして、彼らの生活の中に、私など足元にも及ばない自然と融和した一つの文化を見て来ました。それはただ単に鳥や動物が好きなだけの私にはない、深い絆で
結ばれている親密な関係なのです。自然と人間の絆。それは人間の存在を、より一層際立たせ、存在感のあるものにしています。自然と人間のかかわりが無く
なった時、その時こそ人類が、無機的な生きる屍になることを意味するのではないでしょうか。
私は久しぶりに日本に帰って来ました。成田に降り立った私は、あまりにも多い日本人の数に驚きました。ここは日本なのだから当たり前の話なのですが、みん
な同じように見えたのです。日本のバイオの技術が進歩して、人間のクローン化が実現したのかと思ったほどです。その偏見は今も続いています。皆同じに見え
るのは、外見のみではなく、物の考え方や価値観までもそうなのでは、と思えてならないのです。 それに、これも当然なことですが、高度な文明下で生活して
いる日本人には野性のにおいがまったく感じられないのです。しかし、その要素は誰しもが心の内にもち続けているに違いありません。その野性を生かしきれず
にいるのは、またその天賦の特性を表現しきれないのは、自らが作りだしてしまった環境のせいではないでしょうか。
自然の中で素直に、あるがままに生きることができない現代人。そのせいか、ストレスが全世界を覆っているような気がするのです。そう思うのは、浦島太郎として日本に帰って来た私だから感じることなのでしょうか。
私は日本人でありながら、人生の半分を南米で過ごしたため、日本のことはまったくと言っていいほど知りません。同時に外国人であったがゆえに、私は現地でも中途半端な人間でした。だから、私は日本人でも南米人でもない地球人だと自負することにしています。
そして浦島太郎であるかぎり、常に鳥たちが舞い、動物たちが遊ぶ龍宮城を求め続けるつもりです。今、東京で生活している私は、この日本でも、南米に匹敵する龍宮城が見いだせると確信しています。
鳥や動物が好きで南米に渡った私ですが、一番愛したい動物は人間なのです。
それを私に教えてくれたのは、遥かな国に住む人々と動物たちだったのです。
本書は、一九九二年七月から日本経済新聞の日曜版サイエンス欄に隔週連載した記事を大幅に書き改めたものに、あらたに執筆したものを加えたものです。
本書は、日経サイエンス編集長の中村雅美氏が、私に執筆を勧めてくれなかったら日の目をみることはなかったでしょう。ここに厚くお礼申し上げます。また、
日本経済新聞社の多くの方々のご支援もいただきました。新聞連載のきっかけを作ってくれた写真部の木内正隆氏、連載を担当していただいた科学技術部の高木
靱生氏と、その後を引き継いでくださった中嶋彰氏らに深く感謝します。そして、私がスランプに陥った時に適切なアドバイスをしてくれた友人の権田高史に、
心から「ありがとう」の言葉を贈ります。
一九九五年四月 森 賢司
著者:森 賢司(もり・けんじ) TV番組コーディネーター,動物写真家。1953年,東京生まれ。都立農産高校園芸学科を卒業後,「ブラジル丸」でアルゼンチンに移住。1992年に帰国するまで,20年近く,アルゼンチンに住む。中央公論社の『自然』や平凡社の『アニマ』などに執筆。1984年,ラ・プラタ鳥類学協会主催のフォトコンテストで審査員賞,1986年パタゴニア地理協会主催のフォトコンテストで審査委員特別賞などを受賞。TBSの「ワクワク動物ランド」やNHKの「地球ファミリー」などをコーディネートする。