日経サイエンス 

あとがき

盛口 満

 

「今までも野山を歩くのは好きだったの。でも何かを知った後に野山を歩くと、見え方が違ってくるの」

 こんなことを僕に言ってくれた生徒がいた。僕は埼玉県にある自由の森学園中・高等学校で理科の教員をしている。あだ名は本文にも書いたようにカマゲッチョだ。僕は子供の頃から昆虫が好きで、自然に親しんできた。そんな僕の気持ちを書けば、

   「自然は大事だね」「生物っておもしろいね」

の一言になってしまう。しかし、その中身を僕らはいったいどのくらい知っているだろうか。「まず自然自体、生物自体をもっと知っていこうよ」。これは僕自身へも含めて、生徒に呼びかけている言葉だ。とはいっても、それらを知るのはなかなか難しいことだと思う。こんな時、たとえば“生物のニッチとは何か”というようなことが、手掛かりになるのではないだろうか。

 

 こう考えて僕は、この本で紹介したような授業を行ってみた。生物のニッチは、生(なま)の生物の姿を研究者達が追い求め見つけだしてきたものだ。僕らもせめてその追体験をしてみたい。できるだけいろいろな生物の姿を登場させたのは、そんなわけがあるからだ。

 

 ニッチとは何かを知ること自体が目的ではない。そうしたことを知った上で、今度は実際に自分達が目にする生物に、「なぜこいつはこんな形や生き方をしているの?」という目が向けられることにこそ目的がある。この本を書いてみて、自分の理解不足はつくづく思い知った。しかし読者の方が、少しでも「今度は自分で見てみよう。調べてみよう」という気になって下されば、この本を書いた目的が達せられたと言えるだろう。

 

 「つまんない」 「わからない」 「ここどうなってるの?」
 授業の場での生徒の反応は時として辛辣だ。ただ、その分、自分が考えてもみなかったことに気づかされる点もまた多い。授業を通しての生徒とのやりとり、これこそが僕の自然の見方を鍛えてくれた。そんなわけで、この本を書くにあたっては、なるべく生徒の生の声を多くとりあげるよう努力したつもりだ。ただし、実際の授業とは話の順序や内容を多少変えてある。これは読みやすくするためである。また登場人物である生徒達の名前は架空のものである。実際の人物像にあまり縛られてしまっては、本文の流れがとだえてしまうと思ったからだ。同じ理由で、参考にさせていただいた本の書名や著者名を、本文中では省かせていただくことが多かった。最後に引用・参考文献をあげておいたので、興味ある方はぜひ、それらの本を読まれることをお勧めしたい。それらの本を読むことによって、僕らとは違った動物の生態の世界がそれぞれの人の中に構築されると思うからだ。

 

 授業、つまりこの本の中身は、同僚の安田守君の存在抜きでは考えられない。彼とともにこの内容を考えてきたのだ。また、実を言うとモグラの飼育装置を作ったのも彼なのだ。そして僕の学校の理科の研究協力者である岩田好宏先生にも多くのことを教えていただいた。「ニッチをどうとらえるのか」、僕がこんなことを考えるようになったのも先生のアドバイスがあってこそだ。また、アメリカシロヒトリ、シジュウカラ、海の魚の項は、先生の授業実践をもとにしたものだ。もっとも、できの悪い生徒である僕は、先生の教えをなかなか飲み込めていないことも確かで、もし本書の内容に誤りがあれば、むろんそれは僕の責任である。

 

 その他、ヒキガエルのおもしろさを教えて下さった奥野良之助先生をはじめ、参考にさせていただいた本の著者の方々にお礼を述べたい。

 

 そして、一九九三年度の自由の森学園高校二年生の、大貝伊佐夫君、小竹友則君、西澤真樹子さんらの存在がなければ、僕はこうした本は書けなかったであろう。

 

 僕は、とある虫との出会いが一つのキッカケとなって、生物の不思議さに目ざめた。そんな僕が生徒とのやりとりの中でまた変わっていく。人間の知識の習得もまた、相互関係で変わっていくのだなと最近つくづく思う。

 

 さて、この本も後書きまで書き終えた。今度はまた野外に出て、生の生物の姿を追っかけることにしよう。

 

一九九五年二月      盛口 満