日経サイエンス  1999年7月号

特集:組織工学 人体を再生する

臨床応用進むカプセル臓器

M. J. リサト(ブラウン大学) P. アビシェル(ローザンヌ大学)

 1994年のある日のこと。猛烈な脊椎痛に苦しむ男性患者に,まったく新しい治療が試みられた。この患者の脊椎腔に,小型のプラスチックチューブが挿入された。チューブは長さ5cm,厚さ0.5~1ミリ程度。中には痛みを抑える物質を分泌する子ウシ由来の生きた細胞が詰められていた。
 処置がうまくいけば,埋め込んだチューブ表面の小さな孔を通して鎮痛物質が患者の脊椎内へと拡散していくはずだ。子ウシ細胞が生き続けられるように,脊髄液中の栄養素や酸素がチューブの膜を通過して吸収できるよう工夫されている。さらに,このチューブの膜表面の小孔は,大きな分子は通さないので,中の子ウシ細胞はγグロブリンなどの患者由来の免疫物質に攻撃されない。
 この処置は,本格的な臨床試験に向けての予備研究だった。期待通りの成果を上げ,ほかの患者の例でも成功が相次いだ。
 臨床医はこの成果から,痛みを和らげる治療だけでなく別な病気の治療のヒントを得た。多くの動物実験の成果から,動物の細胞を用いたカプセル化療法がさまざまな疾患の予防や治療に応用できるのではないか,と希望を膨らませる臨床医もいた。
 カプセル化免疫遮断療法は,いくつかの難治性疾患に対して小規模な臨床試験で試され,サルやイヌなどの動物実験でも有用性が指摘されている。これらの疾患には進行性神経変性疾患(パーキンソン病やハンチントン舞踏病),血友病,再生不良性貧血,発育遅延が含まれている。失明の主要原因とされる角膜滴状変性症やほかの眼疾患への応用についてもネズミなどで検討されている。「体外」での応用も試みられている。たとえば重い肝臓疾患に対して,腎不全用の透析装置に似た循環式血液浄化装置を作り,その回路の一部にカプセル化細胞を使う。このカプセル人工肝臓は,すでに臨床応用が始まっている。(本文から)

著者

Michael J. Lysaght / Patrick Aebischer

2人は長年に渡ってハイブリッド人工臓器の開発に共同で着手してきた。リサトは生体医療工学の領域でエンジニアとして活躍している。カプセルの合成膜の開発に大きく貢献し,ブラウン大学人工臓器部門・助教授,ロ-ドアイランド州細胞医学センター・センター長。医療機器・材料メーカーで,研究担当重役として25年間その手腕を発揮してきた。1995年以降,ブラウン大学のプロジェクトにも参加している。アビシェルは臨床医で,神経科学の分野で博士号を取得した。現在は分子生物学での知見を治療に結びつけることに大きな関心を寄せている。以前はブラウン大学にいたが,現在は,スイスのローザンヌ大学医学部遺伝子治療センター外科研究部部長として活躍している。ローザンヌのスイス先端技術研究所にも籍を置いている。

原題名

Encapsulated Cells as Therapy(SCIENTIFIC AMERICAN April 1999)