日経サイエンス  1999年2月号

謎の隕石を追う

砂漠が燃えた日

J. C. ウィン E. M. シューメーカー(ともに米国地質調査所)

【復刻につき特価販売中】

 アラビア半島の地図を見ると,内陸部に町も村もない広大な空白地帯が存在することがわかる。サウジアラビアのルブ・アル・ハリ砂漠だ。その砂の海の奥深くに非常に奇妙な場所がある。広さ0.5km2ほどの地域で,周囲は砂ばかりなのに,そこだけ黒っぽいガラスや白い岩石,鉄の破片などが散らばっている。この不思議な地域の話は1932年,英国の探検家,ジョン=アブドゥラ=フィルビーによって初めて欧米世界に伝えられた。もっとも,アラビア半島に古くから住む放浪の民ベドウィン族の間では,この地は「鉄のある場所(Theiron things)」として何世代にもわたって語り継がれ,いにしえの王国の都ウバールの跡とも言い伝えられていた。
 彼は旅行記の中で,この土地の名前を「ウバール」ではなく,「ワバール」と聞き書きで記した。以来,この地は一般に「ワバール」という名前で通るようになった。しかし,フィルビーが発見したのは失われたウバールの町ではなかった。ただ,確かにそこは空からの災厄に見舞われた跡だった。隕石が衝突したのだ。
 ワバールは隕石探査における特別な場所となっている。これまで地球に衝突した隕石のほとんどは,表面が土や岩石で覆われた固い大陸表面か,さもなければ海などに落ちている。これに対して,ワバールでは,落ちたところが世界でも指折りの砂の海だった点が他と大きく異なる。この乾燥した別世界は,地質学的に見て,隕石衝突の跡が,地上で最もよく保存された場所といえるだろう。
 ではいったいワバールでどんなことが実際に起きたのか,私たちは3度に及ぶルブ・アル・ハリ砂漠への大変な調査旅行によって,衝突当時の模様を再現することに成功した。(本文から)

 

 

再録:別冊日経サイエンス195「空からの脅威」

著者

Jeffrey C. Wynn / Eugene M. Shoemaker

2人は地質学者で米国地質調査所で一緒に働いていたが,シューメーカーは1997年7月に自動車事故で亡くなった。2人とも世界の果てまで隕石の調査などに赴くため,インディ・ジョーンズのような評判を得ていた。ウィンは米国地質調査所のバージニア州レストンの本拠地で,重力異常や地震探査,リモートセンシングなどを用いた海底地形図の作成や,地下鉱物資源と地下水の探査,考古学遺跡の調査などに取り組んできた。1987年から1990年にかけては,米国地質調査所がベネズエラに派遣している調査隊の隊長を務め,さらに1991年から1995年にかけてサウジアラビアの調査隊の責任者の職にあった。ウィンの乗った車は米国南西部の砂漠の中で壊れ,さらにはサハラ砂漠の西部でも,またベネズエラのアマゾン川流域の密林の中でも壊れている。ガラガラヘビや毒ヘビ,毒グモなどと目と鼻の先で出会ったりもした。シューメーカーは惑星地質学の父と言われ,地質学における天体衝突の研究の重要性を最初に指摘した。彼はアリゾナ州フラッグスタッフに米国地質調査所の研究施設を設立,そこでアポロ宇宙飛行士の訓練も行われた。地球に接近する小惑星や彗星の探査のため,カリフォルニア州サンディエゴ北方のパロマー天文台で観測に取り組んだ。カーネギー工科大学の非常勤教授でもあった。亡くなった時には,彼の妻で共同研究者でもあるキャロライン・シューメーカー(CarolynShoemaker)とともに,オーストラリア奥地で天体衝突の地図作りを進めていた。

原題名

The Day the Sands Caught Fire(SCIENTIFIC AMERICAN November 1998)

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隕石衝突痕跡