日経サイエンス  1998年8月号

レーザーによる細胞内手術

M. W. バーンズ(カリフォルニア大学アーバイン校)

 大きさが0.1mmにも満たない細胞の中には,細胞核などさまざまな小器官が詰まっている。こうした「細胞小器官」に,非常に細く絞ったレーザーをあてると,その細胞小器官は,見ないピンセットでつままれたようにその場に静止する。別のレーザーは,あたかもメスやはさみのように,その細胞小器官の一部をえぐり取ったり,切断したりする……。レーザーが身近になった現在でさえ,こんな話は単なるSF小説のようにしか聞こえないかもしれない。しかし,外科医が内視鏡を通して微細なピンセットやはさみで血管や胃腸などを手術するのと同じように,今や,細胞生物学者は「レーザーピンセット」と「レーザーはさみ」を使って,細胞やその中の細胞小器官を生かした状態のまま手術できるようになった。

 

 ハーラッヒング・レーザー応用センター(ドイツ・ミュンヘン)のシュッツェたちは,人工受精にレーザーのピンセットとはさみを利用した。まずレーザーはさみで牛の卵細胞を包んでいる透明な膜,「透明帯」に穴を開ける。次に赤外線レーザーのピンセットで捕捉したウシの精子を,その穴を通して卵細胞に導入する。受精率がもっと高くなって,安全性が確立されれば,畜産業では間違いなく有用な技術となるだろうし,医療現場では新たな不妊治療法として導入されるだろう。

 

 私たちは,細胞分裂が進んでいる最中の染色体を,レーザーはさみで切断,その切断片をレーザーピンセットで捕捉して細胞内で動かす実験を行った。細胞が分裂するときは,細胞内に紡錘体と呼ばれる構造が形成され,これによって複製された染色体が互いに細胞内の反対方向に引っ張られていく。私たちの実験の狙いは,この染色体を引っ張る力の解明にあった。意外なことに,紡錘体の外側にある染色体断片は,レーザーピンセットで自由に動かせたが,紡錘体の外部から内部へと動かすことはできなかった。この研究から,外来の分子(たとえば新しく生成された染色体断片など)が紡錘体内部に侵入するのを防ぐ紡錘体の“囲い”としての役割が確認された。紡錘体の内側では遺伝情報を次の世代の細胞に受け渡す大切な作業が行われているので,異物がその領域に入らないようにするシステムが進化の過程で構築されたのだろう。(本文より)

著者

Michael W. Berns

カリフォルニア大学アーバイン校教授(アーノルド・アンド・マーベル・ベックマン教授)。同大学付属ベックマン・レーザー医療・研究センターの所長で,その共同創立者の1人でもある。もう1人の共同創立者は彼の師で実業家でもあるベックマン(Arnold O. Beckman)。現在の研究分野は遺伝学と細胞の運動性,レーザーと生体組織の相互作用,レーザーによるガン治療,眼科学,生殖医学など多岐にわたっている。著者はこの記事を,今年3月で98歳を迎えたベックマンに捧げている。

原題名

Laser Scissors and Tweezers(SCIENTIFIC AMERICAN April 1998)