日経サイエンス  1997年11月号

トレンド

思考のワーキングメモリー

D. T. ベアズリー(Scientific American スタッフライター)

 ワーキングメモリーとは,たった今意味のある情報に関する短期的で限りのある記憶のこと。私たちが文章を理解したり,以前に決定した行動計画に従ったり,あるいは,電話番号を覚える時に利用される。たとえば,ロシアの大統領の名前を心に思い浮かべるとき,その情報は,長期記憶から一時的にワーキングメモリーにコピーされる。

 

 心理学的研究によって,ワーキングメモリーこそが,記憶している文脈情報にもとづいて論理的に考えたり判断を下す能力の基礎であることが示されてきた。ワーキングメモリーを理解したいという背景には,やむにやまれぬ人道的理由がある。最も深刻な精神疾患のひとつである分裂病は,部分的にはこのシステムの障害によって起こると考えられている。ワーキングメモリーの最も著名な研究者の1人であるエール大学のゴールドマン=ラキーチ(PatriciaGoldman-Rakic)は,分子レベルでのワーキングメモリーの研究は「精神病での薬物治療と密接に関係する」と述べている。

 

 私たちがこの生き生きとした知的能力を使っているときに関与する脳の領域についての詳細な情報を得るために,精力的な研究が始まったばかりである。そしてワーキングメモリーを働かせる神経活動のパターンが解明されつつある。さらに,ワーキングメモリーに関与する脳化学物質の重要な役割もはっきりとしてきた。しかし,こうした進歩にもかかわらず,研究者たちはまだ,ワーキングメモリーがどのように制御され,統合されているのかに関して同意しているわけではない。(本文より)

原題名

The Machinery of Thought(SCIENTIFIC AMERICAN August 1997)