日経サイエンス  1997年11月号

昆虫に見る“愛と自己犠牲”の進化生物学

D. T. グウィン(トロント大学)

 昆虫の雄のなかには,交尾のときに自分の体の分泌物を与えたり,ときには自分の体を雌に贈ることさえある。交尾に,雄がこのような極端な投資を行うことは,生物学者にとっては不思議だった。なぜなら,たいてい雄は,1回の交尾に全精力を費やすよりも,多くの交尾を行うという戦略によって,最大の利益を得ると考えられるからである。一方,雌は,遺伝物質だけでなく栄養分に富んだ卵を作り出すので,それぞれの交尾が確実に成功することにかなりの労力を費やす。その結果,雌の方が交尾相手を非常に注意深く選ぶのである。

 

 多くのキリギリスやコオロギに見られる贈呈品は,交尾後雌の食料となる。雌は交尾後にその贈り物を食べるが,体の外に付いたままの精包は,その間に注射器のような動きで射精を行っている。したがって,キリギリスやコオロギでは,雄と雌が離れた後でも射精が起こる。

 

 射精までの時間をかせぐことは,より多くの卵を受精させることにつながる。なぜなら,その間により多くの射精が起こり,すでに雌の体内に蓄えられた他の雄の精子よりも,数の上で打ち勝つことができるからである(昆虫では精子の貯蔵が一般的で,そのために雌は貯精嚢という特別の器官を備えている)。

 

 ストックホルム大学のウェーデル(Nina Wedell)は,はじめに雄は,雌が精子を食べてしまわないよう,魅惑的な附属嚢を進化させたと考えた。それに対して雌は,おそらく,より多くの贈呈品を得るために,何匹もの雄と何回も交尾する方向へ進化した。その結果,雄はより大きな精子の袋を守るために,より大きな贈り物が必要となったと考えた。

 

 一方,ラトガーズ大学のトリヴァース(Robert L. Trivers)は別の仮説を提案した。すなわち,雄の投資は,父親による間接的な子の世話の一形態ではないか,というのである。たしかに,雄が栄養物を贈り,それが,雌にではなく雌の産む卵に取り込まれ,その結果雄自身の子孫に利益をもたらすような方向に,自然選択がはたらくこともあり得るだろう。(本文より)

著者

Darryl T. Gwynne

昆虫およびクモの進化生物学,行動生物学の研究者。1979年に,コロラド州立大学でPh. D. を取得。ニューメキシコ,オーストラリアでの研究の後に,トロント大学動物学部の教授に就任。動物行動学会の会員である。

原題名

Glandular Gifts(SCIENTIFIC AMERICAN August 1997)