
1980年代の日本の輸出攻勢に手を焼いた米国は,さまざまな手段を講じてその競争力に対抗しようとした。半導体産業の場合,日本に外国製品の購入割合を義務づけた日米半導体協定と,1987年に発足した企業連合体「セマテック」が象徴的である。高度な半導体技術の開発を目指すセマテックの活動を支援するため,米国政府は毎年1億ドルの補助金を10年間にわたって投じることを認めた。
セマテックの当初のもくろみは,米国企業が共同事業に慣れていないこともあって早々と挫折し,結局はステッパー(逐次移動式露光装置)技術を発明した半導体製造装置メーカーの支援を主目的の1つにせざるをえなかった。しかし,そのメーカーは製品開発に失敗し,セマテックに参加していない大手企業の傘下に入ったあげく,1993年につぶれてしまった。不思議なことに,この顛末は日本ではほとんど紹介されていない。
1993年に米国の半導体産業は世界市場のシェアを取り戻した。復活にはさまざまな要素がからんでいるが,著者はセマテックとしては技術的な功績より,参加企業間の関係改善に努めた功績が大きかったとしている。だとすれば,膨大な政府補助金の役割は何だったのだろうか。セマテックへの参加企業は1988年から数百億ドルの開発費を使っており,必ずしも政府の支援を受ける立場にはなかった。著者は政府補助金は多すぎた,と断言している。
著者
Lucien P. Randazzese
ハーバード大学の科学・国際問題研究センターのポストドクトラル・フェロー(博士研究員)で,産学協同研究,科学技術政策,技術革新マネジメントについて研究している。1991年にロチェスター工科大学を卒業し,1995年にカーネギーメロン大学より工学・公共政策でPh.D.を取得した。現在,カーネギーメロン大学のコーエン(Wesley Cohen),フロリダ(Richard Florida)と共同で産学研究センターについての本(オックスフォード大学出版会から刊行予定)を執筆中。
原題名
Semiconductor Subsidies(SCIENTIFIC AMERICAN June 1996)