
5回対称性をもつ準結晶の発見は,今世紀後半の固体物理学で最も衝撃的な事件であった。現代の物質観で“あってはならないもの”だったからである。150年以上にわたって培われてきた結晶物質の基本テーゼは「周期性」であった。つまり,単位となる格子が空間をすき間なく埋め,しかも全体を並行移動できる様式でしか,結晶物質は存在しえないというものである。ここから,2,3,4,6回対称性は存在しても,5回対称はありえないことになる。
理論自体がいくら正しくても,自然は人知を超える秘密を隠していたのだった。19世紀半ばから営々と築き上げてきた物質観は,根底からくつがえされた。そのキーワードは「準周期性」だ。これは中途半端な周期という意味ではなく,「ある種の高い秩序性(たとえばフラクタル構造)をもっているのに,既存の周期性という概念に収まりきれないもの」という意味である。
大楼閣の崩壊を見逃すほど物理学者はおめでたくない。そこで,準結晶を“異端児”として既存の枠組みに組み込もうとした。不安定で一時的な状態と信じたかった。しかし,この希望的観測もはかなくついえ去った。著者が熱力学的に安定な「単結晶のような準結晶」を作ってしまったからである。
準結晶を含む“秩序構造をもつ物質”の統一理論は,地動説や相対論に匹敵する概念の革命を起こすかもしれない。これまでに見つかった準結晶物質の実に9割近くを発見した著者が,最新の準結晶研究について語る。
写真:東北大学科学計測研究所の田中通義,津田健治,齋藤晃(上),
東北大学金属材料研究所の平賀賢二(右)
*先の記事で田中通義先生のお名前に間違いがあり,お詫びして訂正いたします(10/6)
著者
蔡安邦(さい・あんぽう)
科学技術庁金属材料技術研究所第3研究グループ主任研究官,工学博士。1958年台湾生まれ。1985年に秋田大学鉱山学部冶金学科を卒業後,東北大学大学院に進み,1990年に工学博士号を得た。そのあと東北大学金属材料研究所の助手となり,1993年から1996年3月まで助教授を務めた。4月に現職に移ったばかり。専門は金属材料物性で,とくに非周期系物質の構造と物性について研究を続けている。現在まで知られている準結晶物質のうちの実に8割以上を発見しており,世界の準結晶研究でその名前を知らない人はいない。なお,今回の執筆に関して「データや図版を提供してくださった方々,原稿を熟読してくださった東京理科大学の竹内伸教授に深く感謝します」と書き記している。