日経サイエンス  1996年5月号

チェルノブイリ—その後の10年

Y. M. シチェルバク(駐米ウクライナ大使)

 1986年4月26日,ウクライナ共和国のチェルノブイリで起きた原子力発電所の事故は史上最悪の惨事を招いた。暴走した核反応のために原子炉は吹っ飛び,多量の放射性物質が大気中に飛び散り,旧ソ連邦諸国はおろか,はるか2000km離れたヨーロッパ一帯にも放射能が降り注いだ。ウクライナでは300万人以上が被災し,発電所から30km以内は今もなお,立入禁止区域となっている。

 

 現場では大勢の作業員や消防士が高レベルの放射線に冒され,犠牲者は3万人以上とする推定もある。生き残った作業員の多くは,免疫機能が低下する「チェルノブイリ・エイズ」と呼ばれる重い後遺症に悩まされている。また,放射能に汚染された地域にいた子供は,避難後に心身の健康を徐々に損ねている。甲状腺ガンの発生率が以前より10倍高く,ストレス性の神経精神病的障害も10~15倍増えていることがわかった。

 

 ウクライナ政府と先進7カ国は昨年末にようやく,2000年までにチェルノブイリ原発を閉鎖することで合意にいたったが,発電所の解体,他の原発の安全性の向上などの問題が山積している。とくに,事故を起こした原子炉に残った放射性物質を封じ込めるため,急場しのぎで作った「石棺」は今や崩壊寸前であり,放射性物質の拡散を防ぐ新たな対策が求められている。これらの計画には40億ドルの拠出が決まっているが,後始末にかかる費用のほんの一部かもしれない。(編集部)

 

別冊日経サイエンス183「震災と原発」に,加筆修正し再録

著者

Yuri M. Shcherbak

駐米ウクライナ大使。1958年キエフ医科大学を卒業し,疫学修士。疫学とウイルス学に関する多くの論文を発表し,また,20冊の詩集,脚本,随筆の著作がある。1988年には「ウクライナ緑の運動」(現在の緑の党)を結成し,党首に就任した。1989年には,旧ソ連邦人民最高会議の議席を獲得した。議会では,野党の党首として最初に,チェルノブイリ原発事故の調査を提案した。

原題名

Ten Years of the Chornobyl Era(SCIENTIFIC AMERICAN April 1996)