日経サイエンス  1996年1月号

氷河期の急激な気候変動

W. S. ブレッカー(コロンビア大学)

 ヨーロッパの気候は暖かい。北大西洋でアマゾン川100本分の流量 を誇る巨大な海流が北上し,大量の熱を運んでいるからである。この海流の表層は高緯度で盛んに蒸発し,塩分が高まって重くなり,海中深く沈み込む。こうしてできる深層水は,遠く南極海まで達す る海洋大循環を形成している。南極の深層水は太平洋,インド洋にも流れ出して,世界の気候に影響を与えている。

 

 しかし,1万年以上前の最後の氷河期には,塩分が薄くなったた めに海洋大循環がしばしば止まり,ヨーロッパが寒冷化したことが 昔の氷の記録などからわかっている。しかも,放射性同位体を使った分析では,海洋大循環の中断はわずか10年程度の出来事だったら しい。塩分を薄めた“犯人”は,陸地から流入した大量の真水であ った。北大西洋の堆積物の分析から,真水はカナダにあった膨大な氷河で溶けてできたものであることが突き止められた。

 

 大気モデルによると,気候変動はカナダ周辺に限られるはずだが,北アメリカ大陸だけでなく,ニュージーランドやアンデス山脈など 地球のいたる所でも同時に進行していた。カナダの氷河を溶かした原因はまだみつかっていない。逆にいうと,何げない“異常気象”が明日にでも,人類と人類が築き上げた文明を奈落の底に引きずり 込む可能性があるということだ。

著者

Wallace S. Broecker

 ブレッカーは40年以上にわたって気候変化と海洋循環の研究を続けている。コロンビア大学のラモン卜・ドハティ地質観測所の地質学の教授であり,1958年にPh.D.を取得している。海水についての放射化学同位体解析の先駆者で,北大西洋での深層水の形成を導くメカニズムの安定性の研究に過去10数年取り組んできた。

原題名

Chaotic Climate(SCIENTIFIC AMERICAN Novemberr 1995)