日経サイエンス  2011年1月号

サイエンス・イン・ピクチャー

かしこい吸盤

F. W. グラッソ(ニューヨーク市立大学ブルックリン校)

 タコの吸盤は一見,おもちゃの矢を的にくっつけたりGPSカーナビをフロントガラスに固定している吸着カップと変わらないが,実は驚くほど精巧な器官だ。特別な筋肉が備わっているおかげで,物体にくっつく力をさまざまに変えられるだけでなく,物体を動かすこともできる。

 吸盤には2つの空洞部がある。外側の「漏斗部」と,内側中心部の「吸盤装置」だ。吸盤が対象物(おいしいハマグリなど)にくっつくときには,まず漏斗部の筋肉が働いて,吸盤外縁部の形を貝の表面に合うように変え,ぴったりとシールする。その後,吸盤装置の筋肉が収縮し,水で満たされた内部の圧力を外部の海水よりも下げて,大きな負圧を作り出す。この圧力差が吸引力を生み,貝などにくっつくわけだ。吸盤装置の筋肉が収縮するほど負圧が大きくなり,吸引力が強くなる。一方,吸盤の縁は「外部筋」によって動く。このため,吸盤の密着と圧力差を保ったまま,つかんだ物体をぐるりと回転させたり,腕に対する角度を変えたりできる。

 こうした複雑な筋肉組織に加え,精巧な神経回路がある。「化学受容器」という専門のニューロンが吸盤の縁に点在しており,これによって表面の“味”を感知できる。これら化学受容器は,接触と圧力の情報を伝える「機械受容器」や自分の筋肉活動に関する情報を伝える「自己受容器」とともに,「神経節」というニューロン集合体につながっている。この吸盤神経節は,いわば吸盤自身に備わった“ミニ脳”として機能しているようで,感覚入力を受けて一貫した応答を生み出している。一方,腕には「腕神経節」があり,それらが腕の全長にわたってつながって腕の動きをコントロールしているが,先の吸盤神経節はこの腕神経節ネットワークを介して相互に接続している。

 このため,本当の脳からの指令に頼らずとも,近隣の吸盤が動きを調整することができる。例えば腕の先へ向かって,あるいは中心に向かって,吸着した物体を順送りにするといった操作が可能だ。もっとも,脳と腕神経節,吸盤神経節がどのように神経機能を分担しているのか,正確なことはまだわかっていない。

著者

Frank W. Grasso

ニューヨーク市立大学ブルックリン校で心理学の准教授とバイオミメティクス・認知ロボティクス研究所の所長を務めている。タコをはじめとする海生動物の行動を制御・調整しているメカニズムを探求し,それらをモデルにしたロボットを開発することによって,生体の制御機構を検証している。

原題名

Sensational Sucker(SCIENTIFIC AMERICAN October 2010)

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