日経サイエンス  2010年12月号

特集:「終わり」を科学する 

あなたが“死体”になるとき

医学

R. M. ヘニッグ(科学ジャーナリスト)

 かつて死は単に心臓が動いているかどうかで決まる明快な問題だった。だが,医療技術の進歩によって心臓をいつまでも動かすことができるようになり,この明快さは失われてしまった。人為的に“
生命を維持する”ことはいつから意味がなくなるのだろうか? 誰かの命を救うために人の死を宣告することは,倫理的にどの時点から認められるのだろうか? 米国では,臓器提供のための死の定義をめぐって新たな論争が起きている。

 

 米国では,毎年8000人を超える人が死亡時に臓器を提供しており,脳死下での臓器提供も多い。米国での脳死は日本と同様,意識や言語,共感,恐怖といった人間らしさをつくる大脳皮質と,呼吸や心拍,ホメオスタシスなどの基本的な生理機能をつかさどる脳幹が回復不可能なほど破壊された状態としている。大脳皮質と脳幹の機能を失った人は,体が温かくて血が通っていても生きていないということは,倫理的にも法律的にも認められている。

 

 それでも臓器が不足した状態にある米国では,脳死以外の人が心臓や肝臓などの重要な臓器を提供することがある。高次脳機能が失われているが,脳幹がまだ活動していて脳死とはみなされない人々だ。このような人々がドナーとなるためには,呼吸が止まり,心臓が動かなくなるといった昔ながらの定義で死を宣告されなければならない。こうした臓器提供では,生命維持装置を外して心臓が止まるのを待ち,さらに心臓が再び動き出さないことを確かめるための手順が細かく定められている。だが,生命維持装置を外してから臓器の摘出までに時間がかかりすぎると臓器が酸素不足で傷んでしまい,移植に使えなくなってしまう。

 

 米国の一部の移植医が,ドナーの死を確認するため決められた時間を守らずに摘出手術を始めたとして非難の的となった。その一方で,このようなルールを見直し,ドナーが回復不可能なほど重症で家族の同意があるのなら“完全に”死んでいなくても臓器の摘出を認めるべきだとする声も上がっている。

 

 本文では,このような米国で論じられている倫理問題に加え,日本での脳死下での臓器提供について解説する。

著者

Robin Marantz Henig

New York Times Magazine 誌に寄稿するジャーナリストで,8冊の著書がある。最新の著書は『Pandora’s Baby: How the First Test Tube Babies Sparkedthe Reproductive Revolution』。米科学著者協会の「社会における科学賞」を2度受賞し,米ジャーナリスト・作家協会の功労賞も受賞している。

原題名

When Does Life Belong to the Living?(SCIENTIFIC AMERICAN September 2010)

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