
私たちの耳は,聴覚以外にも重要な感覚を担っている。自分の頭がどこを向いていて,どのように動いているかという平衡感覚だ。平衡感覚を生み出しているのは内耳にある「前庭迷路」という器官だ。病気やある種の薬の副作用で内耳に損傷を受け,この能力を失ってしまった人々は,日常生活もままならないほどの激しいめまいや慢性的な不安定感,視界のぶれに苦しんでいる。平衡障害患者に朗報がある。平衡感覚を取り戻せる人工内耳の開発が進んでいるのだ。
前庭迷路には2つの重要な役割がある。1つは上下を判断し,自分がどちらを向いているのかを把握することだ。この情報がないと,普通に立ったり歩いたりするのもままならない。2つ目は頭の向きを感じ取る役割だ。例えば頭部が上を向くと,前庭迷路が両目に対して正確に同じ速度で下へ回転するよう命令するので,網膜上の映像は安定する。この「前庭動眼反射」がなければ,周りの世界は手ぶれの激しいビデオカメラで撮影した動画のように見えるだろう。
前庭迷路で頭の動きを感知しているのは三半規管と呼ばれる器官で,開発中の人工器官は三半規管の機能を補い,前庭動眼反射を取り戻す。聴覚を失った患者用に使われている人工内耳は聴神経の一部を電気的に刺激して聴覚を回復させるが,開発中の新タイプの人工内耳も同じようなメカニズムで働く。超小型ジャイロスコープ(物体の角度を計測する機器)が3次元の頭の動きを感知し,前庭神経に電気信号を送る仕組みだ。
人工内耳で頭の動きを感じとるだけでなく,重力センサーとしての内耳の機能を回復させることも可能かもしれないが,そこまでしなくても,障害者にとって最も悩ましい視界のぼやけた状態を治すことができると期待されている。
著者
Charles C. Della Santina
ジョンズ・ホプキンズ大学医学部の耳鼻咽喉学と医用生体工学の准教授で,前庭神経工学研究室を率いている。外科医師としては,前庭障害者の治療と人工蝸牛による聴覚の回復を専門としている。研究者としては,前庭感覚を失った障害者を治療するための人工器官の開発に専念している。
原題名
Regaining Balance with Bionic Ears(SCIENTIFIC AMERICAN April 2010)
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