日経サイエンス  2010年8月号

動き出すニュートリノ望遠鏡

G. B. ジェルミニ A. クセンコ(ともにカリフォルニア大学ロサンゼルス校) T. J. ワイラー(バンダービルト大学)

 小柴昌俊・東京大学特別栄誉教授のおかげで,ニュートリノは私たち日本人にとって“身近な”素粒子となった。彼は大規模な超新星爆発に伴って放出されたニュートリノを世界で初めて検出し,2002年ノーベル物理学賞を受賞した。その受賞理由としてノーベル財団が特に評価したのは「ニュートリノ天文学」という新しい科学分野を打ち立てたことだった。小柴らは,理論的興味の対象だったニュートリノを,宇宙を探る有用な手段へと昇格させたのだ。

 

 ニュートリノは他の粒子とほとんど作用しない。この特徴こそ,ニュートリノが宇宙を探る有用なツールたるゆえんだ。光で太陽を観測しても,見えるのはそのごく表層,ガスの最上部のわずか数百kmだ。太陽光は表面に到達するまでにガスの層で吸収と再放出の過程を数えきれないほど繰り返しており,表面近くから出た光だけが邪魔されずに宇宙空間に出て行くからだ。一方,ニュートリノを使えば,太陽のコアを直接見ることができる。コアで生成されたニュートリノはあたかも空っぽの空間を進むかのように太陽の外層を突き抜けるからだ。

 

 しかし,ニュートリノは他の粒子とほとんど作用しないため,それを捕まえるのは大変難しい。ニュートリノを検出するには大量の物質を監視し,ニュートリノが痕跡を残す数少ないチャンスを待つ。ニュートリノ望遠鏡は巨大な装置にならざるを得ないのだ。また,3種類あるニュートリノは空間を移動中に別の種類に「変身」する。天文学者は,変身を考慮して,発生時の姿を想像しなければならない。だが,観測技術は着実に進歩している。

 

 現在,南極点に建設中の「アイスキューブ」をはじめ,世界各地でニュートリノ望遠鏡の建設や設計が進められている。これらの装置が完成した暁には,超新星爆発やガンマ線バースト,超大質量ブラックホールの周りで渦巻く円盤の奥深くを観測できるだろう。小柴らによって打ち立てられたニュートリノ天文学は,黄金期を迎えようとしている。

 

 

 

再録:別冊日経サイエンス187 「宇宙をひらく望遠鏡」

著者

Graciela B. Gelmini / Alexander Kusenko / Thomas J. Weiler

ジェルミニはカリフォルニア大学ロサンゼルス校の物理学教授。アルゼンチンで過ごした高校時代には芸術,哲学,天文学などの進路を考えたが,最終的に物理学を選んだ。「物理学者はよい仲間(mate)を持っていたわ」と,彼女はアルゼンチンの国民的な飲みもの「マテ茶」(現地のスラングで「脳」のことも指す)に掛けて回想する。クセンコもカリフォルニア大学ロサンゼルス校に所属。旧ソ連軍に徴兵された後,物理学の学位を取得した。その後,留学生交換プログラムでストーニー・ブルック大学に進学。優秀な成果を収め,プログラム終了後も米国にとどまった。クセンコとジェルミニはともにピエール・オージェ観測所チームの一員だ。ワイラーは大きくなったらカウボーイになるつもりだったが,スタンフォード大学とウィスコンシン大学マディソン校で量子力学と相対性理論の虜になった。現在,バンダービルト大学の物理学教授で,超高エネルギー宇宙探査機チームのメンバーだ。彼は言う。「僕がならなくても,カウボーイはたくさんいるよ」。

原題名

Through Neutrino Eyes(SCIENTIFIC AMERICAN May 2010)

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