日経サイエンス  2010年6月号

救命毒ガス 硫化水素 

R. ワン(レイクヘッド大学)

温泉や火山の噴火口近くに漂う“卵の腐ったような臭い”。これが硫化水素だ。温泉好きの日本人には比較的,なじみのある臭いだが,命にかかわる毒ガスだ。人間の鼻はわずか0.0047ppm(1ppmは100万分の1)の硫化水素を感じとれる。こんなに感度が高いのは,硫化水素が危険だからだろう。500ppmで呼吸が妨げられ,800ppmのガスに5分間さらされれば死に至る。近年,自殺目的で硫化水素を発生させ,助けようとした家族が巻き込まれる事件も起きている。

 

その毒性は300年も前から知られていたが,最近の研究から,硫化水素が人体で微量ながらも合成されていること,そして,血圧のコントロールや脳での記憶の増強,細胞の保護など,さまざまな役割があることがわかってきた。やはり毒ガスでありながら,血圧の調節をしている一酸化窒素(NO)や一酸化炭素(CO)とは,異なるメカニズムで働いているらしい。血管を弛緩させて血圧を下げるメカニズムなどが分子レベルで詳しくわかるにつれ,心臓病などの治療に役立てようという動きも出てきている。

著者

Rui Wang

カナダのオンタリオ州サンダー・ベイにあるレイクヘッド大学の生物学教授で副研究部門長。カナダ生理学会の会長で,一酸化窒素や一酸化炭素,硫化水素などのガス性伝達物質と呼ばれる低分子群の代謝・生理的機能を研究するリーダーも務めている。2008年にはカナダ薬理学会議のファイザー優秀研究者賞を受賞した。NBAバスケットボールの熱烈なファンでSF映画マニアでもある。

原題名

Toxic Gas, Lifesaver(SCIENTIFIC AMERICAN March 2010)

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