
哺乳類のことを「けもの」「けだもの」ともいうが,これは「毛のもの」の意味だ。身体が毛で覆われているのは,哺乳類の特徴といっていい。ところが,私たち人間の皮膚は,ほとんどむき出しの状態だ。霊長類のなかで,毛皮がないのはヒトだけだ。なぜ,いつから,私たちは体毛を失ったのだろう。
体毛には保温効果や,紫外線などから皮膚を守る役目があるが,例えばクジラやイルカのなどはやはり体毛がない。水生哺乳類では,毛をなくすことで水の抵抗が減り,水中でのすばやい動きや長距離遊泳が可能になるというメリットがある。ゾウやサイも体毛がほとんどないが,暑い地域にすむ大型哺乳類の場合,むしろ体温が上がりすぎる危険が常につきまとうので,毛皮はむしろ邪魔になる(氷河期のマンモスや毛サイには毛皮があった)。
私たちヒトの場合はどうだろう? 実はやはり体温の上がりすぎを防ぐための進化のようだ。ヒトの場合,保温効果のある毛皮をなくしただけでなく,熱の発散に非常に効果的な水分の多い汗をかく。犬や馬などの汗はもっと脂っぽいため,熱を逃がすという点では十分ではない。
なぜ,過熱を防ぐことがそれほど重要になったのか? それはヒトの祖先でのライフスタイルの変化がある。森から草原に出たヒトの祖先は,食べ物を求めて長距離を歩いたり走ったりするようになった。活発に動き回っても体温が上がりすぎないための仕組みが必要だったのだ。
この仕組みは脳の大型化にも一役かった。脳は熱にとくに弱い器官なのだ。さらに,毛を逆立てて怒りを相手に伝えるといった,コミュニケーションの手段を失ってしまったため,豊かな表情やジェスチャーが進化してきたとも考えられている。
ヒトが長距離を歩くようになった時期は,化石の記録からわかる。また,肌の色を決める遺伝子からも,ヒトの祖先がいつごろ体毛をなくしたのかを間接的に推測することが可能だ。こうした研究から,160万年前に初期のホモ属が現れたころには,無毛化が進んでいたと考えられている。
著者
Nina G. Jablonski
ペンシルベニア州立大学の人類学科長を務める。主要な研究テーマは,ヒトの皮膚の自然史,二足歩行の起源,旧世界ザルの進化と生物地理学,および過去200万年間に生きた哺乳動物の古生態学で,中国やケニア,ネパールで野外調査をしている。今回の記事はSCIENTIFIC AMERICAN誌への寄稿としては2本目。1本目は,チャップリン(George Chaplin)との共著による「肌の色が多様になったわけ」で,日経サイエンス2003年1月号に掲載した。
原題名
The Naked Truth(SCIENTIFIC AMERICAN February 2010)
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