
進化論を唱えたダーウィンは1871年に『人間の由来』の中で,人間と人間以外の動物の心の違いは「程度の差であって質の問題ではない」と述べた。後の学者たちも基本的にはこの見解を支持する立場を取っている。近年では,ヒトとチンパンジーの遺伝子の98%が同じという遺伝学的なデータをその論拠とすることも多い。
しかしダーウィンの主張に反して,両者の知性に極めて大きな隔たりがあることを示す証拠は多い。人間とチンパンジーの遺伝子は大半が同じだが,最近の研究から,ヒト系統がチンパンジーの系統と分かれた後に生じた遺伝子のわずかな変化が計算能力の大きな違いを生み出したことが示唆されている。
著者ハウザーは,遺伝情報の再編成や欠失,重複こそが人間の知性を作り出したと主張する。この記事では,著者自身が自らが研究によって明らかにした4つの人間の特性を「人間の独自性(humaniqueness)」と名付けて紹介する。
第1の特性は,ほぼ無限に多様な「表現」を作り出す生成計算能力だ。言葉の配列,音符の並び,動作の組み合わせ,数学記号の配列といった表現を生成する。生成計算能力には,再帰的計算と組み合わせ計算の2つの操作がある。再帰は,1つの規則を繰り返し使って新たな表現を生み出す。ある短いフレーズを別のフレーズの中に繰り返し埋め込むような表現。一方,組み合わせ操作では,別個の要素を結びつけることで新たな概念が生じる。
第2の特徴は,思考を自由自在に組み合わせる能力である。私たちは日常生活の中で,異なる知識領域の思考を結びつけることで,芸術,性,宇宙,因果関係,友好関係などを複合的に理解している。組み合わせることで,新しい法律や社会関係,科学技術が生まれる。
第3の特性は理知的シンボルの使用だ。現実のものであれ想像上のものであれ,私たちはあらゆる知覚経験をシンボルに変換することで,自分で理解したり,言語や芸術作品,音楽,コンピューター言語を介して他者に伝えたりできる。
第4の特性,抽象的な思考も人間特有のものだ。動物の思考が感覚経験と知覚経験に基づくのとは異なり,人間の思考の多くは,そうした経験との明確なつながりはない。一角獣やエイリアン,名詞や動詞,無限や神について考えることができるのは人間だけだ。
こうした人間特有の精神活動が生み出された背景には,ゲノムの大規模な再編成とともに,新しい神経構造の構築があると考えられる。人間の認知能力の進化的起源はわかっていないが,新たな知見や実験手法の進歩によって謎は少しずつ解き明かされている。
著者
Marc Hauser
ハーバード大学の心理学,人類進化生物学,多様性・進化生物学の教授。人間の知性の進化および発生学的な基礎を,進化心理学と認知神経科学の両面から研究しており,人間と他の動物が共通してもつ心的な能力と,人間だけに認められる特徴の解明を目指している。
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