日経サイエンス  2009年12月号

特集:「起源」に迫る

特集:「起源」に迫る はじめのはじめに

プロローグ

SCIENTIFIC AMERICAN編集部

 紀元前6世紀,ギリシャの政治家・哲学者タレスが,生き物と無生物すべてに共通する本質について,神学的な虚飾をあらかた剥ぎ取った説明を初めて提唱した。タレスは水が液体や気体,固体として存在しうることに注目し,物質の基本的な成分は水であり,その物質から地球上のあらゆるもの,人間やヤギ,花,岩,その他もろもろができてくると考えた。

 

 自然哲学(現在「科学」として知られる営み)の常として,タレスの言説はたちまち議論を引き起こした。タレスの弟子(現在でいえば大学院生といったところ)であるアナクシマンドロスは,岩や砂などには湿気がないように見えるから,水は果たして唯一の基本要素でありうるだろうかと問うた。

 

 万物の根源を水とみるタレスの宇宙観は哲学史と科学史のなかでしか見かけなくなったが,私たち人間の本質と起源をめぐる論争は以来何千年にわたって止むことがない。最も基本的な物質粒子の正体は何なのか,そしてそれらが現在の世界,多くの人が携帯電話を持ち歩き,テレビをつければ人気番組の再放送をやっているこの世界をどのようにもたらしたのか──この謎に対する決定的な答えは現在の自然哲学者もいまだ手にしていない。

 

 今年4月初め,70人の主要な科学者がアリゾナ州立大学に集まり,「オリジン・イニシアチブ」を立ち上げた。タレスの水世界に代わる最新の候補として,ひも理論の極微の粒子が妥当であるかどうか,といった問題を考察するものだ。起源にさかのぼりたいという衝動はすべての科学研究の原動力であり,もちろん生物学の領域にもエネルギーを与えている。今年はダーウィン(Charles Darwin)の『種の起源』出版からちょうど150周年だが,まさにそれにふさわしく,命のない物質から生命がどのように生まれたのかという大きな謎の解明に向けた一里塚となる重要な研究成果が出た。英国の化学者チームが,生命の基本的素材の1つが有機物質の温かなスープから自発的に生じうることを示した。

 

 今回,本誌は物理学と生物学,技術における「起源」に焦点を当てた単一テーマ特集をお送りする。以下のページではまず,宇宙がいかに始まったかという包括的な大問題に取り組む。そして生命出現の考えうる道筋について述べ,人間の知性を他の動物の知性と異なるものにしたのは何かを取り上げる。さらに,人間の知性が生み出したおそらく最も素晴らしい発明であるコンピューターの始まりについて考える。続く最終部では,人間による数々の発明に加え,いろいろな物理現象と生命現象の初めについて,簡潔に振り返る。

 

 虹であろうが抗生物質であろうが紙幣であろうが,事物の起源(およびそれがもたらした物語)は,私たちを取り巻く世界について尽きせぬ魅惑の源であり続けている。

原題名

In the Beginning(SCIENTIFIC AMERICAN September 2009)