日経サイエンス  2009年5月号

ノーベル賞受賞記念

南部さんと始まった研究人生

西島和彦

 戦後間もなく,素粒子論の新たな扉を開いた西島和彦氏が2009年2月15日に逝去された。1950年代初め,陽子や中性子が素粒子だと考えられていたが,奇妙な振る舞いをする粒子が続々発見された。西島氏は物質粒子が「ストレンジネス」と呼ばれることになる量子数を持てば,すべての粒子が1つの法則によって見事に分類されることを示した。この法則は1953年,ほぼ日米同時に独立して発見され,「中野・西島・ゲルマンの法則」と呼ばれるようになった。さらに1957年,ニュートリノが1種類ではなく2種類存在するとの理論的予言をした。これらは,素粒子クォークと素粒子の“世代”の概念や弱い力の理論が生まれる礎となった。

 

 西島氏は南部陽一郎氏らとともに大阪市立大学の理論物理学グループを立ち上げた。

 

 そこで本誌は2008年末,南部氏との思い出と自身の研究人生を伺おうと西島氏にインタビューを申し込んだ。氏は「南部さんの話なら」と,病室で人生を語った。これが「最後の公務」(西島氏の秀子夫人)となった。謹んでご冥福をお祈り申しあげ,ここに西島氏が語られた研究人生を紹介する。

語り手:西島和彦(にしじま・かずひこ)
理論物理学者。1926年茨城県土浦市生まれ。48年東京大学理学部物理学科を卒業し大学院に進む。50年大阪市立大学助手となり,南部陽一郎教授(当時)らとともにV粒子の対発生の理論を研究する。53年中野・西島・ゲルマンの法則を提唱。その後,西ドイツのマックス・プランク物理学研究所のハイゼンベルクのもとで研究した後,米プリンストン高等研究所を経てイリノイ大学で教鞭をとる。66年東京大学教授,86年京都大学基礎物理学研究所長,90年中央大学理工学部教授,95年仁科記念財団理事長,2003年文化勲章受章。09年2月死去。語学が堪能で英独仏伊語を話し,海外の多数の大学で講義をした。

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