
超弩級の能力を持つと期待される量子コンピューター。原子や光子,人工の微細構造にデータを保存して処理する設計が考えられている。最も進んでいるのが捕捉イオンを操る研究だ。イオンにデータを蓄え,他のイオンに転送できるようになっている。開発を阻む原理的な障害はない。
私たちが行っている捕捉イオン実験では,電気的に浮揚させた個々のイオンが小さな棒磁石のように振る舞う。各々の棒磁石の方向(上向きと下向き)が量子ビットの1と0に対応する。レーザー冷却(原子に光子を散乱させることで原子の運動エネルギーを奪う方法)によって,捕捉トラップ内のイオンをほぼ静止させる。
これらのイオンは真空容器中にあるので周囲の環境からは分離されているが,イオンどうしの電気的反発による強い相互作用を利用して「量子もつれ」を作り出すことができる。量子もつれは個々の量子ビットの観測結果が相関し合う現象で,粒子の間を結ぶ“見えない配線”と考えることができる。そして,ごく細いレーザービームを個々の原子に当てることによって,量子ビットに蓄えられているデータを操作・計測できる。
過去数年で,捕捉イオンを利用した量子計算の原理実証実験が数多く行われた。最高で8つの量子ビットをもつれ状態にして,これら初歩的なコンピューターが単純なアルゴリズムを実行できることが示された。捕捉イオンによる方法をもっと多くの量子ビットに拡大するのは,技術的には非常に難しい課題があるものの,原理的には素直なやり方だと思われる。
汎用的な量子コンピューターを作るには,まず信頼性のあるメモリーが不可欠だ。イオンの磁気的方向を上向きと同時に下向きにして,ある量子ビットを0と1の重ね合わせ状態にしたら,そのデータを処理して観測するまで,状態を維持しておく必要がある。電磁トラップに捕捉したイオンは重ね合わせ状態の寿命が10分を上回り,とてもよい量子ビット記憶装置として働く。
必須となる第2の要素は,単一の量子ビットを操作する能力だ。振動磁場を一定の時間にわたってイオンに加えることで,量子ビットの反転(0から1,あるいは1から0に変えること)や重ね合わせが可能だ。第3の基本的要件は,量子ビットを処理する少なくとも1種類の論理ゲートを作ること。2量子ビット論理ゲートとして最もふさわしいと考えられているのは「制御NOT」と呼ばれるゲートで,これまでに複数の研究グループが実際に機能する制御NOTゲートを作り出した。
今後は新世代の捕捉イオンチップが登場して,より多数の量子ビットを扱う量子コンピューターへの道が開けてくると期待される。そのとき,かつては不可能と考えられた難問をこなす量子マシンの夢が,ついに現実になるだろう。
著者
Christopher R. Monroe / David J. Wineland
モンローはメリーランド大学のBice Sechi-Zorn記念教授(物理学)で,メリーランド大学と米国立標準技術研究所(NIST)の共同研究機関である量子合同研究所のフェロー。原子やイオンの電磁トラップ,レーザー冷却,量子状態制御が専門。ワインランドは1965年にカリフォルニア大学バークレー校でB. A. を,1970年にハーバード大学でPh. D. を取得し,現在はコロラド州ボールダーにあるNISTの時間・周波数部門でイオン蓄積グループを率いている。同グループは捕捉イオンのレーザー冷却と分光解析が専門。
原題名
Quantum Computing with Ions(SCIENTIFIC AMERICAN August 2008)
サイト内の関連記事を読む
イオントラップ/デコヒーレンス/物理学/量子コンピューター/量子力学/量子情報
キーワードをGoogleで検索する
カップリング/デコヒーレンス/ビームスプリッター/光共振器/量子誤り訂正/イオントラップ