日経サイエンス  2008年8月号

テストステロンは悪役か

C. ミムズ(SciAm.com記者)

 プロレスラーのクリス・ベノワはそのパワフルな身体と力強い格闘技で人気をつかみ,2004年には世界ヘビー級チャンピオンに上りつめた。2007年6月に彼がアトランタ近くの自宅で妻と息子を殺して自らも首をつって死ぬとは,誰も予想だにしなかった。

 

 その後,州検視官事務所はベノワの遺体に彼が抗不安薬と鎮痛剤のほかテストステロンを注射していた跡が見られたと発表した。テストステロンなどの筋肉増強剤が暴力的行為と関連して語られることがいかに多いかを考えれば,なるほどそうかと思わせる。

 

 しかし検視官によると,ステロイドが殺人の一因になったという明確な証拠はなかった。ベノワのテストステロン濃度は通常値の10倍だったが,その程度の上昇が人の思考プロセスや行動の何らかの異常に直結するわけではない。

 

 一般には,テストステロン(その他の男性ホルモンも)は暴力に密接に関連していると考えられている。その証拠は至る所にある。筋肉増強剤を過剰に投与された重量挙げ選手は凶暴になり,テストステロンの主な源を取り除く去勢は何世紀にもわたって家畜管理の定番となっている。しかし,この関係の本質は何だろうか。正常な男性にテストステロンを注射したら「超人ハルク」に変わるのか。そして,狂暴な男性は柔和な仲間よりもテストステロン濃度が高いのか?

 

 答えは「イエス」だと科学者たちも推定してきたのだが,真実はもっと複雑であることがわかった。

 

 テストステロン濃度が高まるとより攻撃的になると考えられていたのだが,実はそうとも限らない。それどころか,最近の研究は,両者にほんの弱い関係しかないことを示している。攻撃性を狭義にとらえて単純な肉体的暴力に限った場合,テストステロンとの関係はほとんど消える。

 

 心理学と精神医学からいえるのは,テストステロンに攻撃性を助長する効果があるということだ。テストステロンを注射したからといって,それですぐに攻撃的になるというような,かっちりした関係があるわけではない。テストステロンは暴力的行動を起こすのに必要かもしれないが,それだけでは不十分だ。その意味で,テストステロンは実行犯というよりは共犯者に近い。ただし,しばしば犯罪現場からあまり遠くないところにいる共犯者だ。

原題名

Testosterone's Bad Rep(SCIENTIFIC AMERICAN BODY December 2007)

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タンパク同化ステロイドロイド・レイジ性的衝動暴力犯罪