日経サイエンス  2008年5月号

特集:革命前夜の物理学

ヒッグスだけじゃない LHCが変える素粒子物理学

C. クイッグ(米国立フェルミ加速器研究所)

 大型ハドロン衝突型加速器LHCの建設目的を一語で答えよ──あえてそう問われたなら,物理学者たちはふつう「ヒッグス」と答える。ヒッグス粒子は現在の理論が存在を予測する粒子のうち未発見のまま残っている唯一の粒子であり,LHCの“呼び物”だ。しかし,LHCが探るストーリーの全貌はさらに興味深い。

 

 この新加速器は素粒子物理学の歴史上,過去のいかなる装置よりも能力が飛躍的に高まる。LHCが何を発見するかわからないが,そうした発見と新たに浮上する謎が素粒子物理学の様相を変え,隣接の科学領域に影響を与えるのは間違いない。

 

 自然界の力のうち2つ,「電磁気力」と「弱い相互作用」を異なるものにしているのは何かがわかり,日常世界に関する概念に大きな影響が及ぶだろう。基本的にして深遠ないくつかの疑問について,新たな理解が得られるだろう。なぜ原子が存在するのか? なぜ化学的現象が生じるのか? 安定な構造が存在しうるのはなぜなのか──といった問いだ。

 

 ヒッグス粒子の存在自体が深遠な疑問をいくつか提起するが,その答えも同じエネルギー領域で見つかるはずだ。そうした現象はいずれも「対称性」の問題にまつわるものだ。対称性は素粒子物理学の「標準モデル」が記述する相互作用の基本をなしているが,理論が予測・説明する現象すべてに対称性が反映されるとは限らない。この「対称性の破れ」がなぜ生じるのかが,重要な疑問だ。

 

 ヒッグス粒子の探索は最初の一歩にすぎない。重力が自然界の他の力に比べてこれほど弱いのはなぜか,宇宙を満たしている暗黒物質(ダークマター)の正体は何かといった事柄を明らかにする現象は,その先にある。さらに先を探れば,別形態の物質や,大きく異なるように見える粒子分類の統合,時空の本質について,手がかりを得られる期待もある。

 

 これらの疑問はどれも互いに関連しているようだし,また,そもそもヒッグス粒子の存在を予言するきっかけになった諸問題にもつながっている。LHCはこれらの問いをより洗練した形に整理する助けとなり,謎解きに向けた道に導いてくれるだろう。

 

 

再録:別冊日経サイエンス203「ヒッグスを超えて ポスト標準理論の素粒子物理学」

著者

Chris Quigg

米国立フェルミ加速器研究所のシニアサイエンティストで,10年にわたって同研究所の理論物理部門を率いた。標準モデルの基礎である「ゲージ理論」についての有名な教科書を著したほか,Annual Review of Nuclear and Particle Scienceの元編集者。電弱対称性の破れとスーパーコライダーに関する彼の研究は,テラスケールの高エネルギー物理の重要性を強く示している。CERNに頻繁に滞在。自然の奥深い働きの探求を一休みしているときは,フランスのサンティエ自然歩道でハイキングを楽しんでいる。

原題名

The Coming Revolutions in Particle Physics(SCIENTIFIC AMERICAN February 2008)

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