日経サイエンス  2008年1月号

葉緑体進化のダイナミズム 小さな藻類の数奇な物語

堀口健雄(北海道大学)

 私たち人類を含め,地球上の多くの生物は植物の存在なしには生命を維持できない。呼吸に必要な酸素も食物のもととなる有機物も,植物の行う光合成というプロセスの産物だからだ。光合成は太陽エネルギーを利用して,二酸化炭素と水から有機物を生産し,その過程で酸素を放出する。この光合成は植物の細胞の中に存在する葉緑体の中で進行する。すなわち葉緑体こそ,地球上のほとんどの生命の維持に欠かせない存在であるといえよう。

 

 葉緑体は真核生物の進化の初期段階に「細胞内共生」というプロセスを経て獲得された。この「葉緑体の共生起源説」は広く受け入れられている。光合成そのものは,原核生物の藍藻(らんそう;シアノバクテリアとも呼ぶ)が約30億年前に獲得したプロセスだが,後に真核生物がこの藍藻を取り込み細胞核の支配下におくことによって葉緑体を獲得したとされる。

 

 しかし,実際その後の葉緑体の進化の物語はなんとも複雑で,ある意味,不思議ですらある。中でも葉緑体進化の不思議さに満ちているのが,ここで紹介する渦鞭毛藻(うずべんもうそう)だ。鞭毛を使って渦を巻くように泳ぐことからこの名がある単細胞生物で,葉緑体の進化を語る時に,渦鞭毛藻類ほどエキサイティングなグループはない。そもそも典型的な渦鞭毛藻の葉緑体からして,他の植物や藻類のそれとはいろいろな点で大きく異なっている。

 

 葉緑体をもちながら,別の藻類を取り込みそれまでの葉緑体と入れ替える。あるいは一度入れ替えた葉緑体をさらにもう一度入れ替えてしまう。また,定期的に他の藻類を取り込んではしばらく光合成を行わせた後,消化してしまうものもいる。つまり葉緑体の使い捨てだ。中には思い切って葉緑体を捨ててしまい,光合成を止めて外部にある有機物を食べ物として取り入れる生活様式を選んだものもある。

 

 渦鞭毛藻類では葉緑体の再獲得,入れ替え,使い捨て,消失などの現象が頻繁に起こっている。このようなダイナミックな葉緑体の進化は,葉緑体が遠い過去に一度だけ獲得され,その後,連綿と植物の中で維持されてきたという静的なイメージを覆す。ここでは渦鞭毛藻類を例に,葉緑体進化のダイナミズムを見ていくことにしよう。

 

 

再録:別冊日経サイエンス185 「進化が語る現在・過去・未来」

著者

堀口健雄(ほりぐち・たけお)

北海道大学大学院理学研究院自然史科学部門教授,理学博士。筑波大学で微細藻類,特に渦鞭毛藻類の分類に関する研究を行い学位を取得。南アフリカ共和国ナタール大学およびヴィットバータースランド大学でのポスドク,信州大学勤務を経て,1993年より北海道大学。渦鞭毛藻類を中心とした微細藻類・原生生物の分類・進化に関する研究を行っている。

原題名

Algae and Their Chloroplasts: with Particular Reference to Dinoflagellates. Takeo Horiguchi in Paleontological Research, Vol. 10, pages 299-309; December 2006.『藻類30億年の自然史』 井上勲,東海大学出版会,2006年(Algae and Their Chloroplasts: with Particular Reference to Dinoflagellates. Takeo Horiguchi in Paleontological Research, Vol. 10, pages 299-309; December 2006.『藻類30億年の自然史』 井上勲,東海大学出版会,2006年)