日経サイエンス  2007年9月号

インカのDNA 空中都市マチュピチュを支えた人々

篠田謙一(国立科学博物館)

 今からおよそ100年前,米国の考古学者ビンガム(Hiram Bingham III)に率いられたエール大学の調査隊は,南米のアンデス山中を進んでいた。スペイン征服時代に神父デ・カランチャ(Antonio de Calancha)がその存在を書き残したインカ最後の都,ビルカバンバを探していたのだ。

 

 インカ帝国は13世紀におこり,15世紀初めまでには現在のエクアドルからチリに至るアンデス一帯を支配した。すぐれた石造技術で多くの建造物を残したが,南米に進出してきたスペインに1533年に滅ぼされた。文字を持たなかったため,その歴史には謎が多い。

 

 ビンガムはペルーのアンデス山中のウルバンバ渓谷周辺を踏査し,1911年7月23日に標高2280mの尾根にマチュピチュ遺跡を発見した。

 

 マチュピチュは絶壁の上にあって山裾からは見えないので「空中都市」とも呼ばれる。15世紀半ばに建設されたが,16世紀のスペイン人のインカ征服とともに放棄された。だがスペイン人には発見されず,破壊を免れたので,現在も当時の姿をとどめている。

 

 ビンガム自身はマチュピチュがビルカバンバだと信じていたが,発見当時から,この謎めいた遺跡についてはさまざまな議論があった。その翌年にこの遺跡で収集された200体近い人骨を調べたところ,そのほとんどが女性のものだと判断されたので,住人の由来がとりわけ注目された。

 

 ビンガムの調査隊は,マチュピチュ住民と周辺の集団を比較するために,1914年と1915年に再びこの遺跡の周辺を踏査し,8つの遺跡から合計341体の人骨を収集している。これらの人骨は,マチュピチュ人骨と同様にエール大学で研究が行われて,1923年には形質人類学者マッカーディ(George G. MacCurdy)による詳細な研究論文が刊行された。

 

 マチュピチュで収集された遺物や人骨は,現在でもエール大学のピーポディ博物館に所蔵されているが,周辺遺跡から出土した人骨は,研究終了後ペルーに返却された。しかし,それらはペルー国立考古学人類学博物館に収蔵されたまま,その後の詳しい研究が行われることはなかった。

 

 私たちは2001年にこの博物館を訪ねたとき,人骨の多くが1923年のニューヨークタイムズ紙に包まれたまま保管されていることを知った。そこで,マッカーディの論文と博物館に残された記録を頼りに,1年間かけてこれらの人骨を整理し,博物館とペルー政府の許可を得て,DNA解析を含む形質人類学的な分析を行った。

 

 

再録:別冊日経サイエンス219 「人類への道 知と社会性の進化」(改題)

 

著者

篠田謙一(しのだ・けんいち)

国立科学博物館人類研究部研究主幹。専門は分子人類学で,古人骨のDNA解析から日本やアジア,南米先住民の起源と系統,その社会構造について研究している。著書に『日本人になった祖先たち』(NHKブックス,2007年)など。

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