
「Heisenberg」。私がハイゼンベルク先生の部屋に電話をかけると,まず耳に入ってくるのが,自分の名前を告げるやや低めのゆったりした先生の声だった。「Nun, was gibt es Neues? (さて,何か新しいことはあるかい)」。この問いかけから始まる先生の部屋での討論は何百回に及んだろうか。計算がうまく進んでいるきは,この問いかけがうれしく,先生との議論も熱を帯びた。一方,新たな進展がないときの「Was gibt es Neues?」は本当につらかった。絶えることなき前進──それが先生の学問に対する,そしてさらには先生がこよなく愛した音楽や生活全般に対する確信であった。
私が,ハイゼンベルク先生の門下に入ったのは1957年。京都大学基礎物理学研究所の助手として湯川秀樹(ゆかわ・ひでき)先生のもとで研究していた私は,湯川先生の御紹介で西ドイツ(当時)のハイゼンベルク先生のもとにフンボルト財団の奨学生として留学した。
当時私は30歳でハイゼンベルク先生は55歳。以来1972年までの15年間のうち,短期の日本滞在を2度挟んで延べ10年半,最初は留学生として,後には助手として先生とともに「素粒子の統一場理論」,いわゆる「統一理論」の研究に取り組んだ。そして先生の退官を機に西ドイツを去った。私は先生の最後の弟子のひとりだった。
著者
山崎和夫(やまざき・かずお)
京都大学名誉教授。湯川秀樹門下で京都大学基礎物理学研究所助手を経て,西ドイツ(当時)のマックス・プランク物理学研究所でハイゼンベルクとともに約10年間研究した。
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