
100年ほど前,洞察力に優れた細菌学者のエールリヒ(Paul Ehrlich)は「自己中毒忌避(Horror autotoxicus)」という言葉を創った。彼は免疫系が自分自身の身体組織を攻撃する「自己免疫」という現象を想定し,これは生物学的に起こりうるが,何らかの形で抑制されていると考えた。つまり,自己免疫反応を回避するシステムがあると提唱したのだ。だがこの二面性のあるアイデアは医学界で誤解され,そもそも自己免疫などありえないと考えられるようになった。自己を攻撃する自滅機構が遺伝子に組み込まれるような誤りが,進化の過程で生じるとは考えにくいというのだ。
しかし,それまで謎とされてきた多くの疾患は,まさに自己免疫が原因であることが徐々に明らかになってきた。多発性硬化症やインスリン依存性糖尿病(若いうちから発症することが多い糖尿病),慢性関節リウマチなどがその例だ。またこれらの病気はCD4+T細胞という白血球の“裏切り行為”が原因であることもわかってきた〔この白血球は胸腺(Thymus)で成熟することからT細胞と呼ばれ,さらに表面にCD4という分子があることからCD4+T細胞と名付けられた〕。正常なCD4+T細胞は免疫系の司令官として働き,免疫系の戦闘部隊を病原体に立ち向かわせる指揮を執っている。この働きから「ヘルパーT細胞」と呼ばれることもある。しかし,ヘルパーT細胞が体内の構成成分を敵と見なすことがあるのだ。
エールリヒはもう1つの点でも正しかった。最近の研究で,異常な免疫反応を抑制している細胞がついに同定されたのだ。この「制御性T細胞」(かつてはサプレッサーT細胞とか抑制性T細胞と呼ばれた)はCD4+T細胞の1グループで,免疫系の調和を保つには欠かせない存在だ。さらに,この細胞の働きは自己免疫を抑制するだけではないことが徐々にわかってきた。病原体やガン,臓器移植,妊娠などに対する免疫反応にも関与していたのだ。
この驚くべき細胞がどのような方法で任務を果たしているのか,また,なぜうまく機能しないことがあるのかを理解しようと,さまざまな研究が行われている。これらの研究によって制御性T細胞をコントロールし,さらには免疫系の活動を必要に応じて抑制したり強化したりする方法が明らかになるだろう。またその過程で,現代医学が課題としている問題に,優れた解決方法が見つかるかもしれない。
著者
Zoltan Fehervari / 坂口志文(さかぐち・しもん)
2002年にフェヘヴァリは京都大学再生医科学研究所にある坂口の研究室のポスドク研究員となり,以来,共同で研究を行っている。フェヘヴァリはケンブリッジ大学で免疫学でPh. D. を取得し,現在はケンブリッジ大学病理学部の助手。坂口は京都大学再生医科学研究所の生体機能調節学分野教授。1980年代初めから制御性T細胞の探究を始め,以来この分野での研究を続けている。日本語に翻訳するにあたり,坂口が監修している。
原題名
Peacekeepers of the Immune System(SCIENTIFIC AMERICAN October 2006)
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