日経サイエンス  2007年1月号

先アステカの大水路網

S. C. カラン J. A. ニーリー(テキサス大学オースティン校)

 先史時代,メキシコ南部の谷や盆地に定住した農耕民族は,長い間,奇跡を待ち望んでいたことだろう。

 

 彼らの住む谷や盆地は土壌が肥沃で,標高2000m弱という高地にありながら熱帯性気候のため農耕に適しており,年の半分に及ぶ雨期が豊かな実りを約束してくれた。この恵まれた環境にあるメキシコ南部はトウモロコシの原産地でもあり,アメリカ大陸の農耕の発祥の地となった。しかし,1年の残りの半分は雨が降らない乾期で,作物の栽培ができない。水さえ年間を通じて供給されれば年に2度,うまくすれば3度の収穫が得られるはずだった。

 

 結局のところ,彼らは奇跡を待つのではなく,自らの創意工夫で問題を解決した。貯水と送水の設備を造る,壮大な土木計画だ。初めは小さなものだったが,しだいに規模が拡大した。例えば紀元前750年くらいからテワカン盆地に築かれ始めたプロン・ダムは長さ400m,幅100m,深さ25m弱の大きさを持つ。人々は約264万m3(東京ドーム約2個分)の土を人の手で一度に数kgずつ運び出し,貯水池を掘った。おそらく18世紀に至るまで,南北アメリカ大陸で最大の人工貯水設備だったはずだ。

 

 それだけではない。古代の技術者たちは,メキシコにヨーロッパ人が渡来する2000年も前に,何千kmもの用水路や水道橋を造っていた。それらは湧水や小川から水を引き,分水嶺を越え,峡谷を迂回して急な斜面を下り,水を導く仕組みだった。巧みな工夫で建物や広場からも雨水を取り込むなど,実にさまざまな水源を利用している。

 

 集水・灌漑設備の主なものは1500年から3000年近く,良好な状態で機能し続けた。このことが設計と構造の優秀さを証明している。さらに彼らが金属の道具も,車輪による運搬技術も,牛馬,ロバなどの役畜も持たずに設備を築いたことは特筆に値する。先史時代の水管理システムはメキシコのあちこちで発見されているが,テワカン盆地の広大な水路とオアハカ盆地の段々畑の灌漑網を調べれば,古代の技術者の工夫がよくわかるだろう。

 

 

再録:別冊日経サイエンス210「古代文明の輝き」

著者

S. Christopher Caran / James A. Neely

2人は長年,メキシコと米国南西部の先史時代の水管理システムをともに研究している。カランはテキサス大学オースティン校の地質学研究員で,専門は第四紀地質学,現在は同校の第四紀分析研究所長。ニーリーはテキサス大学オースティン校人類学科の名誉教授で,農業の発達を中心に研究している。1960~70年代に本文に登場する水管理システムのほとんどを発見し,1988年からカランとともにさらに踏み込んだ調査を行っている。

原題名

Hydraulic Engineering in Prehistoric Mexico(SCIENTIFIC AMERICAN October 2006)

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