日経サイエンス  2006年11月号

朝永振一郎生誕100年

朝永振一郎生誕100年 「くりこみ」が拓く量子の世界

金谷和至(筑波大学)

 朝永振一郎は1965年に「量子電気力学の構築と素粒子物理学への深い功績」によりノーベル物理学賞を受賞した。「くりこみ理論」や「超多時間理論」などの独創的な朝永の業績は,素粒子とその相互作用を説明する基礎理論「場の量子論」の根幹部分の構築に本質的な貢献をした。

 

 朝永が取り組んだ「量子電気力学」は電磁気力に関する場の量子論だが,当時,大きな問題に直面していた。電子が放出した光子は,波の性質により回折して戻ってきて,もとの電子に吸収されることがある。これを電子の自己相互作用という。困ったことに,場の量子論に従ってこれらの自己相互作用を計算すると,どうやっても無限大に発散してしまう。

 

 朝永は明確に相対論的に不変な形で場の量子論を構成できる「超多時間理論」を考案,計算式の中で質量と電荷について無限大が起きないような処理をしておけば,他のすべての物理量は有限の値として計算できることを示した。では質量と電荷で無限大を処理するとはどういう意味だろうか。

 

 電子は常に自己相互作用の“衣”をまとっているので,実際に観測される電子の質量と電荷は,“衣”をはぎ取った「裸の質量と電荷」に,自己相互作用の寄与分を合わせたものとして解釈できる。裸の質量と電荷は原理的に直接測定できない。ここで,自己相互作用の寄与は場の量子論によれば無限大だ。とすれば,式の上で電荷と質量を観測される有限値にするには,自己相互作用の無限大の寄与をうまく打ち消すような形で,裸の電荷と質量も無限大に発散させれば破綻は回避される。この操作を「くりこみ」と呼ぶ。

 

 現在,実験で取り扱われるエネルギースケールで理論が一貫するには,その理論はくりこみ可能な理論でなければならない。実際,強い相互作用や弱い相互作用もくりこみ可能な場の量子論で表される。ラザフォードが原子の内部構造を調べた20世紀初頭から現在までに素粒子実験のエネルギーは10桁以上も上がったが,くりこみは有効性を発揮し続け,現実の物理現象を精密に再現する。

著者

金谷和至(かなや・かずゆき)

筑波大学大学院数理物質科学研究科教授。専門は素粒子理論と計算物理学。1982年に名古屋大学大学院理学研究科を修了,理学博士。西ドイツ(当時)のビーフェルト大学とアーヘン工科大学,スイス・ベルン大学などでの研究の後,1988年から筑波大学に移り,超並列計算機CP-PACSの実現などに取り組む。筑波大学が中心となって展開している朝永生誕100年記念事業を担当する主要メンバーで,記念展の開催や講演会の準備などに汗を流した。

サイト内の関連記事を読む

キーワードをGoogleで検索する

くりこみ場の量子論標準理論朝永振一郎電子電磁波対生成対消滅超多時間理論磁気モーメント自己相互作用無限大発散