日経サイエンス  2006年10月号

光学技術に革命を起こすスーパーレンズ

J. B. ペンドリー(ロンドン大学) D. R. スミス(デューク大学)

 40年前,ロシアの科学者ベセラゴ(Victor Veselago)は光学の世界を根底から覆す物質を考えついた。これまで知られている物質は,光の折れ曲がり具合はさまざまだが,屈折率はいずれも正の値をとる。ところがベセラゴは,これまで知られていない奇妙な光の折れ曲がり方を示す「負の屈折率を持つ物質」がどこかに埋もれていると考えた。

 

 例えば屈折率が負の液体中では光が“逆戻り”したり,鉛筆を半分浸すと,浸したはずの鉛筆の先が液体表面から空気中に飛び出してくるように見るはずだ。彼は数年がかりで探索したが,そんな物質はどこにもなく,彼の予想はいつしか忘れ去られた。しかし,最近の科学技術の進歩でベセラゴが夢見た物質の話が息を吹き返した。それはある特定の組成を持つ化学物質の塊ではない。微細な構造体を組み合わせた人工の疑似物質「メタマテリアル」だ。メタマテリアルの微細構造は自由に設計できるので,原子や分子にはない特性を持たせられ,普通の物質が持ち得ない電磁気的特性を実現できる可能性がある。

 

 2000年,カリフォルニア大学サンディエゴ校のグループはマイクロ波に対して負の屈折率を示すメタマテリアルを開発,検証実験に成功した。以来,メタマテリアルの不思議な特性を利用した技術開発が世界各地で進んでいる。なかでも最も先端を走るのが「スーパーレンズ」だ。

 

 屈折率が正の物質でできた普通のレンズでは,回折限界という理論的限界から光の波長よりも小さな対象の画像は得られない。しかし,屈折率が負のメタマテリアルでできたレンズ「スーパーレンズ」なら,この限界を突破し,もっと微細な構造物の像を得ることができる。ナノテクノロジーにとって非常に魅力的な特性だ。一般に半導体の微細加工では,写真と同じ原理でレンズを使って回路パターンを縮小して半導体基板に焼き付ける(光リソグラフィー)。ナノメートルサイズの超微細回路を持つチップや,今より格段に記録密度の高い光ディスクが実現する。

 

 2004年,トロント大学の研究グループはメタマテリアルを使って,無線周波数帯域で回折限界よりも小さな分解能を出せることを実験的に示した。さらに2005年,ニュージーランド・カンタベリー大学とカリフォルニア大学バークレー校のグループはそれぞれ厚さ約40nmの銀薄膜を用いて,その波長よりも狭い幅の開口部から発せられた光(波長365nm)の像を得ることに成功した。銀薄膜は理想的なスーパーレンズではない。しかし,実質的に解像度を向上できたことで,可視光域でもスーパーレンズの基本原理が成り立つことを証明した。

 

 スーパーレンズの実験成功によって電磁気学がからむほとんどすべての現象は再検討を迫られている。屈折や回折限界など,完全に解明されたと考えられてきた基本的光学現象でさえ,屈折率が負の物質の登場で新たな修正が加えられることになった。

 

 

再録:別冊日経サイエンス202「光技術 その軌跡と挑戦 」

著者

John B. Pendry / David R. Smith

2人はメタマテリアルへの貢献で2005年のデカルト賞(国際共同研究による優れた成果に贈られる欧州連合の賞)を受賞した国際共同研究グループのメンバー。2000年から共同研究を続けており,ペンドリーは理論,スミスは実験を担当している。ペンドリーはロンドン大学インペリアルカレッジの物理学教授。量子摩擦やナノ構造間の熱輸送,熱伝導率の量子化などにまつわる電磁場現象の研究に取り組んでいる。スミスはデューク大学の電気・コンピューター工学教授。特異な性質を示す材料中での電磁波伝播を研究している。メタマテリアルと負の屈折率を持つ物質に関する新たな応用技術の開発のため,複数の企業と共同研究している。

原題名

The Quest for the Superlens(SCIENTIFIC AMERICAN July 2006)

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