
2003年8月14日午後,ニューヨーク市への送電が止まり,市民800万人は暗闇の中で一夜を過ごした。米国東北部とカナダ・オンタリオ州の住民約4000万人も同様だった。ニューヨーク市から500km以上離れたオハイオ州の発電所の停止がきっかけで電力負荷が上昇,高圧送電線が過熱して垂れ下がり,樹木に接触してショート(短絡)した。停電は将棋倒しのように送電網を伝わって265カ所の発電所が停止,2万4000km2もの地域が真っ暗になった。
北米大陸の電力網は過去100年間,拡張につぐ拡張を繰り返してきた。総投資額は1兆ドル以上に達し,総延長数百万kmもの送電線が最高76万5000Vの電圧で全土を網み目のように結んでいる。だが,その重要性にもかかわらず,電力網全体を一元的に維持管理する組織がない。欧州も状況は同じだ。多数の電力会社が互いに競争しながら,時々刻々変動する電力需要にきっかり見合う量を発電し,供給しなければならない。
根本的な問題は,20世紀に構築された現在の電力網は21世紀のエネルギーの2大潮流への適応力に乏しいことだ。潮流の1つは増大し続ける電力需要。単に電圧や電流を上げるだけで,既存の送電線でより多くの電力を輸送できるわけではない。電圧が約100万Vに達すると電線の絶縁が壊れて放電・ショートが起きる。大電流で電線が過熱,垂れ下がって木や建物などに接触する危険性もある。
もう1つの潮流は発電や自動車のエネルギー源が化石燃料からクリーンエネルギーへ移行する動きだ。現在の電力網などのエネルギー供給インフラが,電気や水素を動力源の一部として利用する車(ハイブリッド車や燃料電池車)の急速な普及に対応できるかどうかは非常に疑問だ。また,現在の電力網は発電量と消費量を常に一致させなければならない。このため風力や海洋,太陽光など発電量が大きく変動し予測が難しい再生可能エネルギーが増えても,電力網に組み込むのは容易ではない。
私たち(3人の著者)が参加する研究グループは北米大陸全体をカバーする新しいエネルギー供給システム「スーパーグリッド」の開発に取り組んでいる。既存の電力網を併存させながら,この新しいシステムを少しずつ整備・発展させ,エネルギー供給能力と信頼性を高めていく構想だ。スーパーグリッドを数十年かけて整備していくなかで,クリーンで安価な大量の電力を安定的に供給できるだけでなく,自動車燃料やエネルギー貯蔵に用いられる水素も手軽に得られるようになる。
検討の結果,スーパーグリッドの実現に基礎科学上の“新発見”は必要ないことがわかった。再生可能エネルギー利用技術のほか,原子力や水素,超電導などに関する既存の技術を組み合わせれば,スーパーグリッドに必要なすべての要素技術がそろう。問題はむしろ,社会や国として,こうしたシステム構築の決断をするかどうかにある。
超電導を利用した送電線は大陸を横断するような長距離でも,電気をほとんどロスなく送電できる。例えば,猛暑による電力需要の急増で四苦八苦している地域に向けて,遠く離れた冷涼な地域の余剰電力を回すことも可能になる。また,送電距離が問題でなくなれば,電力の大消費地である人口密集地域から遠く離れた場所に発電所を建設しても経済的に成り立つようになる。
超電導ケーブルは極低温状態を維持する必要があるが,スーパーグリッドでは極低温の液体水素を満たしたパイプで超電導ケーブルを冷やす。パイプは超電導ケーブルと同じ総延長になるので,膨大な量の水素が蓄えられることになる。つまりスーパーグリッドはそれ自体が非常に巨大な水素タンクであり,水素を各地に供給するパイプラインにもなる。発電量の変動が大きい風力発電や太陽光発電などは,その電力で製造した水素をスーパーグリッドに一時貯蔵しておくことで,使いやすいエネルギー源となるだろう。火力発電所や自動車からの温暖化ガス排出を先進国が減らそうと考えるなら,スーパーグリッドは不可欠なインフラになるはずだ。
著者
Paul M.Grant / Chauncey Starr / Thomas J.Overbye
グラントは1953年,17歳の時にIBMのボウリング場でピンセッターのアルバイトを始めて以来,同社に40年間勤務した。ハーバード大学でPh.D. 取得後サンノゼ研究所に入り,世界初の高温超電導体の発見に貢献した。1993~2004年にかけて,スターが1973年に設立した米国電力研究所(EPRI)に科学フェローとして所属した。スターは1990年に米国技術栄誉賞を受賞。低温工学研究やロックウェル・インターナショナル社の原子力エネルギー部門の管理,米国原子力学会の設立に携わり,10年以上EPRIの所長を務めた。オーバーバイはイリノイ大学アーバナ・シャンペーン校の電気情報工学教授で,2003年の北米大停電の公式調査に貢献した。
原題名
A Power Grid for the Hydrogen Economy(SCIENTIFIC AMERICAN July 2006)(SCIENTIFIC AMERICAN July 2006)