日経サイエンス  2006年10月号

鳥たちが見る色あざやかな世界

T. H. ゴールドスミス(エール大学名誉教授)

 人間は,えてして自分たちの視覚システムが進化の頂点にあると思いがちだ。確かに視覚のおかげで私たちは立体的に物を見ることができるし,遠くからでも物を見つけることができ,安全に動き回ることもできる。また,視覚のおかげで一人ひとりをはっきりと識別できるし,相手のちょっとした表情から感情を読み取ることもできる。しかし実は私たちは視覚に大きく頼るあまり,嗅覚や聴覚などを主体にした動物の世界があることをなかなか想像できない。例えば夜にエサを探すコウモリはどうだろう。彼らは自身の発する高周波音の反響を手がかりに小さな昆虫を見つけることができる。私たちの想像を超えた感覚世界ではないか。

 

 色覚について私たちが知っていることは,当然ながら,人間が見ることのできる世界に基づいている。ヒトを対象にした実験は動物を相手にするよりもはるかに容易だ。どんな色とどんな色が同じに見えるか,あるいは違って見えるかなど,人間ならば簡単に答えてくれる。しかし,実は哺乳類以外の多くの脊椎動物は,ヒトには見ることのできない光の波長領域,すなわち近紫外線領域(300?400nm)も見えている。科学者たちはニューロンの発火の様子から,さまざまな脊椎動物で近紫外線領域が見えている可能性に気がついていたが,実際にこのことが明らかになったのは1970年代の初頭になってからだ。

 

 ここ35年間の研究により,鳥類やトカゲ類,カメ類,多くの魚類が網膜に紫外線受容体を持つことがわかってきた。むしろ,紫外線を見ることのできない哺乳類が例外といえる。なぜ哺乳類だけが違うのだろう?なぜ哺乳類の色覚は貧弱なのだろう?これらに答えるための研究から期せずして浮かび上がってきたのは,鳥類の極めて豊かな視覚世界と,心奪われる進化の物語だ。

 

 私はしばしば「紫外線視覚は鳥にとっていったい何の役に立つんだい?」という質問を受ける。質問の真意はおそらく,紫外線視覚は風変わりな特徴にすぎず,それがなくても十分幸せに暮らせるはずだ,ということのようだ。

 

 私たちは自分の感覚世界にとらわれるあまり,失明することの意味は容易に理解し,それを恐れてもいるにもかかわらず,己の能力を超えた視覚世界を思い描くことができない。人間のうぬぼれという色眼鏡で見る世界,あるいはそこから想像できる範囲の世界と,本当の世界は違うのであり,自分たちの視覚が進化の頂点ではないと知ることは,私たちを謙虚にするだろう。

 

 

再録:別冊日経サイエンス227「鳥のサイエンス 知られざる生態の謎を解く」

著者

Timothy H. Goldsmith

エール大学の分子,細胞,発生生物学の名誉教授で,米国芸術科学アカデミーの会員。甲殻類や昆虫,鳥類の視覚を50年にわたって研究している。ヒトの認知と行動の進化にも造詣が深く,グルター法律行動研究所の法律学者と共同で執筆を楽しんでいる。大学の教授職を退く前の10年間に,人文や社会科学を専攻する学生に自然科学を講義し,ジマーマン(William Zimmerman)とともに『Biology, Evolution, and Human Nature』という教科書を執筆した。

原題名

What Birds See(SCIENTIFIC AMERICAN July 2006)

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