日経サイエンス  2005年4月号

究極の暗号はいかにして生まれたか

古田彩(日経サイエンス編集部)

 暗号の歴史は古く,紀元前にまでさかのぼる。だが近年登場した量子暗号は,それまでの暗号とは一線を画す。従来の暗号はある種の問題は計算時間が膨大にかかり,スーパーコンピューターでも解くことができないという数学的な事情によって安全性を保証している。一方,量子暗号の秘密を守っているのは物理法則だ。

 

 「数学の手法は驚異的なコンピューターが出現したり,天才的な数学者が現れて解法を発見してしまう恐れがある。だが理の手法は物理法則が間違っていない限り破れない」と専門家は指摘する。

 

 世界初の量子暗号は1984年,IBMとベネット(Charles Bennett)とカナダのブラッサード(Giles Brassard)が発明した。だがその前に,量子暗号の源流となった発明をなしたもう1人のパイオニアがいた。ウィーズナー(StephenWiesner)だ。

 

 量子力学が誕生して以来,ミクロな世界に現れる不確定性というのは,機器の開発やシステム設計には邪魔者だと思われていた。だが1970年ごろウィーズナーは,不確定性を利用すれば,現在の情報技術ではできない情報処理が可能になることに気づいた。そして実際に,偽造が決してできない量子マネーを考案した。

 

 当時,この論文の価値に気づいた人はほとんどいなかったが,ウィーズナーの友人だったベネットがこのアイデアに興味を持った。そしてブラッサードと共に発展させ,最初の量子暗号手法を発明した。

 

 一方,英オックスフォード大学のエカート(Artur Ekert)は1991年,独自に別の量子暗号のアイデアに行き着いた。きっかけはアインシュタインら3人が書いた有名な論文だ。この中に,物理学の理論は「対象の状態を変えずに正確に知ることができる量,言い換えれば実在する量についての理論であるべき」との指摘がある。暗号技術に明るかったエカートは,この「対象の状態を変えずに正確に知る」という表現は,盗聴の定義そのものだと気づいた。

 

 だが量子力学によれば,そんなことは不可能だ。ということは,これを利用すれば盗聴されたら確実に発見できる暗号が作れる。そう気づいたエカートは,量子もつれになった光子を使った,新たな量子暗号を考え出した。

 

 量子暗号は,量子力学の不可思議な現象を直接に利用する初めての応用技術だ。普及すれば,現在は物理学者しか知らない量子力学の世界が,一般の人々にも身近になるだろう。

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