日経サイエンス  2005年3月号

ルネサンス絵画 リアリズムの謎

D.G. ストーク(リコーイノベーションズ)

 西洋絵画の偉大な軌跡に思いを馳せると,ルネサンスの黎明期にきわめて興味深い変化が発生したことに気付く。1425年よりも前には,ほとんどの絵画は様式化され図式的ですらあったのに対して,それ以後の絵画ではまるで写真のような写実主義が見られるのだ。

 

 たとえばルネサンス初期の巨匠ヤン・ファン・アイク(Jan van Eyck,1390?~1441)作の『アルノルフィーニ夫妻の肖像』は,それ以前の作品には見られない立体感や臨場感,個性,心理的な奥行きを示している。初めて本物そっくりの肖像画が登場したわけだ。果たして何が起こったのだろうか。

 

 アルス・ノバ (新しい芸術) とも呼ばれるこのめざましい新境地が出現した理由について,有名な現代美術の作家ホックニー (David Hockney)は大胆な説を提案して論争を巻き起こした。

 

 彼の主張によれば,ルネサンス期の絵画が写実的に見える (ホックニーいわく「光学的外観」がある) のは,レンズや鏡を使って像をカンバスなどの表面に投影してなぞり,その上に描いたからだという。

 

 18~19世紀に,一部の画家が光学的な投影像をカンバスに映して利用したことはよく知られている。しかしホックニーの説をとると,光学手法の採用はこれを250年もさかのぼることになる。ホックニーによるとこうした光学器具や手法は非常に重要で,それ以降の芸術の歴史は,光学そのものの歴史と密接に結びついているという。

 

 私は他の研究者とともに,光学的手法やコンピューター画像解析法を使って,ファン・アイクの2作品を判定した。これらは,ホックニーとその共同研究者であるアリゾナ大学の物理学者ファルコ(Charles Falco) が証拠として挙げた作品だ。その調査結果を示し,ホックニーの説にはさまざまな疑問点があることを紹介したい。

 

 

再録:別冊日経サイエンス210「アートする科学」

著者

David G. Stork

ストークはリコーイノベーションズ社の主任研究者で,スタンフォード大学の電気工学顧問教授でもあり,美術および美術史学科でも教鞭をとっている。マサチューセッツ工科大学で学士号を,メリーランド大学でPh.D.を取得。さらにウェルズリー・カレッジで美術史を学び,ニューヨーク州立芸術基金のアーティスト・イン・レジデンス(芸術家の文化交流プログラムのメンバー) になった。15件以上の特許を保有し,5冊の著書がある。機械と人間による適応パターン認識に最も関心を持っている。

原題名

Optics and Realism in Renaissance Art(SCIENTIFIC AMERICAN December 2004)

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