日経サイエンス  2005年1月号

白内障を防げ 水晶体に見る細胞死の不思議

R.ダーム(マックス・プランク発生学研究所)

 眼の水晶体は,人体の中で唯一透明な組織だ。光の焦点を合わせるにはこの透明性が必要不可欠である。ここ数年の研究から,水晶体が透明になる独特の仕組みがわかってきた。水晶体が透明なのは,水晶体細胞が自己破壊プログラムを巧みに制御しているためだ。破壊プログラムは完了の一歩手前で停止するので,内部に空胞を持つにもかかわらず生きながらえることのできる細胞が残る。水晶体細胞の内部にはクリスタリンという巨大タンパク質分子が規則正しく並び,光の屈折率を一定に保っているため,可視光線を通すことが可能になる。

 

 水晶体の細胞が透明性をいかに生み出し,維持するかについてさらに理解が深まれば,白内障を防ぐ治療法が見いだせるはずだ。白内障は水晶体が混濁して視界が遮られる病気で,米国では65歳を超える人々の半数以上にみられる。現在のところ唯一の治療法は,混濁した水晶体を外科手術で取り除き,そこに人工水晶体を挿入する方法だが,二次的な手術が必要になるケースも多い。白内障は主に高齢者に発症し,彼らにとってはどんな手術も煩わしいものだ。こうしたことを考えると,白内障の進行を遅らせたり,止めたり,あるいはもとの状態に戻す方法こそ,心から待ち望まれる治療といえるだろう。

 

 水晶体が細胞の自己破壊をいかに厳密に制御しているかについて,より理解が深まれば,視界を良好に保つ方法だけでなく,他の病気の治療にも役立つだろう。パーキンソン病やアルツハイマー病,あるいはエイズのような慢性感染症に代表されるいくつかの病気は,異常な細胞死が特徴で,発症によってだんだんと衰弱していく。水晶体の研究により,これらの病気の治療にも道が開けるかもしれない。

 

 

再録:別冊日経サイエンス213「生命解読2 細胞から個体へ」

著者

Ralf Dahm

ドイツのチュービンゲンにあるマックス・プランク発生学研究所のプロジェクトマネジャー。スコットランドのダンディー大学より生化学でPh.D. を取得。ヒトの発生および疾患を研究するモデルとしてゼブラフィッシュを用い,ヨーロッパでいくつものプロジェクトを指揮してきた。Zebrafish:APractical Approach(Oxford University Press, 2002)の共著者。また,ヒトの発生や胚細胞およびクローニングについて定評のあるドイツ語教科書の著者でもある。眼の病気によって,芸術家たちが見たりとらえたりする世界がいかに変化するかついて興味を持っているという。

原題名

Dying to See(SCIENTIFIC AMERICAN October 2004)

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