日経サイエンス  2004年5月号

トルコの遺跡にみる9000年前の男と女

I.ホッダー(スタンフォード大学)

 9000年前,トルコ中部の平原を流れる川の岸辺に新石器時代の人々が定住した。彼らが造りあげた町は現在ではチャタルフユックと呼ばれている。「くわで突き刺された土手」という意味だ。そこは,2000戸の家が建ち並び,約8000人が生活するほどにまで発展を遂げた。

 

 サッカー競技場24個分ほどの広さにあたる約10万m2の土地に家がぎっしりと立て込んでいた。後期になると街路はなくなり,人々は屋根から屋根へとつたいながら歩くようになった。屋根から階段を下りて家の中に入ると,生活の場である部屋の中には,雄牛や鹿,ヒョウ,ハゲタカ,そして人間を描いた絵や彫刻が所狭しと飾られていた。

 

 石器時代の後期にあたるこのころ,住民は精巧に研磨した石器を使用し,穀物を栽培し,羊を飼いならしていた。さらに,野生の牛や豚,馬を狩り,多数の野生の植物を利用していた。この遺跡は最古の農耕集落ではないが,古い時代にしては規模が大きいことや精巧な芸術作品が見つかっていることから,農耕を始めて間もない人々がどういう生活をしていたのかを探る上で,貴重な手がかりになっている。

 

 初期農耕社会における女性の役割はどのようなものだったのか?話題がこのテーマになると,必ずチャタルフユックが引き合いに出される。ヨーロッパでは長い間,初期農耕社会の大部分は母系家族制だったと伝統的に考えられてきた。家長は女性で,家系は女性によって受け継がれ,遺産は母から娘へと譲られ,人々は強大な力を持つ地母神を崇拝していただろうという見方だ。20世紀後半の数十年間に流行したニューエイジ女神運動の中心的思想に「女神を強大なシンボルとする農耕の民たちの時代」という考え方がぴたりとはまったため,“女神ツアー”と称して大勢がチャタルフユックを訪れた。ここで祈りをささげ,輪になって踊り,女神の影響力をじかに感じようとした。

 

 チャタルフユックは本当にこれまで考えられてきたような女性パワーの聖地だったのだろうか?1990年代に四半世紀ぶりに発掘調査が再開され,新たな発見があった。これにより,9000年前のトルコ中部のこの地で暮らした男女の相対的な力関係が,ようやく解明され始めた。チャタルフユックの女性像,男性像も明らかにされようとしている。

 

 

著者

Ian Hodder

英国ケンブリッジ大学で博士号を取得し,1977年から1999年にかけて同大学で考古学の教授を務めたのち,スタンフォード大学に移った。現在は,スタンフォード大学の文化社会人類学科長を務め,トルコのチャタルフユックにおける考古学研究および発掘調査のプロジェクトを指揮している。著書に,『Symbolsin Action』(1982年),『The Present Past』(1982年),『Reading the Past』(1986年),『The Domestication of Europe』(1990年),『Theory and Practicein Archaeology』(1992年),『The Archaeological Process』(1999年)などがある。

再録:別冊日経サイエンス228「性とジェンダー」
再録:別冊日経サイエンス210「古代文明の輝き」

原題名

Women and Men at Çatalhöyük(SCIENTIFIC AMERICAN January 2004)

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