日経サイエンス  2003年10月号

商人が築いたインダスの古代都市文明

J.M. ケノイヤー(ウィスコンシン大学)

 インダス文明はメソポタミア,エジプト,中国の黄河文明と並ぶいわゆる四大文明のひとつだ。だがこれらの文明に比べて,インダス文明にはいまだに不明な点が多い。出土する印章や護符,土器などに記されたインダス文字がまだ解読されていないためだ。

 

 現在私たちは,この消えてしまったインダス文明の社会がどのように形づくられたのか,またきわめて広い地域で都市化したこの国家の政治や経済,軍事,あるいは思想(宗教)的な権力の源泉は何だったのかを突き止めようとしている。そのためには発掘した出土品,都市や集落の配置,建築物を手がかりにするしかない。

 

 未解読のインダス文字もまったく役に立たないわけではない。確かに,私たちには職人がさまざまなものに刻んだ文字や記号の意味がわからない。そのため,たとえばある人物や集団がどのように権力を得てそれを維持したのか,文字から直接知ることはできない。だが文字の使われ方からある程度推測することは可能だ。最近,ハラッパーで長く伝わるすぐれた工芸技術についての分析も進んでおり,その結果と合わせてインダス文明の社会権力構造の解明が進んでいる。

 

 1920年代,考古学者は土砂とごみに埋もれた,青銅器時代の2つの大きな都市遺跡を発掘した。現在のパキスタンのパンジャーブ地方にあるハラッパーと,同じくシンド地方にあるモヘンジョダロ〔「モヘンの丘」もしくは「死者の丘」の意〕だ。この発掘によりインダス文明は世界の注目を集めることになった。ヒマラヤを源流とする大河インダス川がつくる肥沃な氾濫原に,巨大な国家が繁栄していたとは誰も予想していなかったからだ。続くインド西部とパキスタンでの発掘調査から,ヨーロッパ西部と同じぐらいの広さ,あるいはメソポタミアや古代エジプトの約2倍もの面積に散在する1500以上の集落が見つかった。

 

 インダス川流域の人々は巨大な石の像を作ったり,遺体と一緒に財宝を埋めたりはしなかったが,綿密に計画された巨大な都市を建設した。また精巧で贅沢な工芸品を作り,ペルシャ湾や中央アジア,メソポタミアなど遠く離れた地へ輸出した。インダス川流域の都市の構造や工芸品の様式はたがいに似通っており,きわめて統一的な経済・社会構造が形成されていたようだ。

 

 

再録:別冊日経サイエンス189 「都市の力 古代から未来へ」

著者

Jonathan Mark Kenoyer

ウィスコンシン大学マディソン校の人類学教授で,考古学と民族考古学,実験考古学と古代技術を教えている。主な関心はパキスタンとインドに広がるインダス文明で,この地域で27年間にわたって調査を指揮している。カリフォルニア大学バークレー校で学位を取得。1986年からハラッパー考古学研究プロジェクトの共同代表および発掘調査主任を務めている。このプロジェクトは米国立人文基金,全米科学財団,ナショナルジオグラフィック協会,ハーバード大学ピーボディ考古学・民族学博物館,米先史学研究院,ウィスコンシン大学,スミソニアン協会,クレス財団,それに個人の寄付から資金を得ている。

原題名

Uncovering the Keys to the Lost Indus Cities(SCIENTIFIC AMERICAN July 2003)

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