
1991年9月のある晴れた日に,アルプス山脈の高い尾根に沿って登山をしていた夫婦が,解けた氷の中から姿を現した死体を発見した。2人は滞在していた山小屋へ戻ると当局へ通報した。この地域では氷河に縦横に刻まれたクレバスに落ちて毎年遭難者が出るため,当局はそうした行方不明の登山者の遺体だと思い込んでいた。
だが,遺体がオーストリアのインスブルックに運び込まれると,インスブルック大学の考古学者シュピンドラー(Konrad Spindler)は,その遺体が有史以前のものであることを確認した。この遺体は男性で,死亡したのは何千年も前だった。遺体や所持品は氷の中で保存されていたが,サハラ砂漠からの砂塵が積もったことと,いつになく暖かい日が続いたのが重なって氷が解け,頭と背中,肩が氷から露出したとシュピンドラーらは推理した。
欧州で発見された新石器時代の遺体の中でも,この“アイスマン”は格段に保存状態がよい。デンマークの泥炭地で発見された鉄器時代の遺体よりかなり古く,さらにエジプト王家のミイラよりも古い。そして驚異的とも言えるのは,衣類一式とさまざまな道具が残っていたことだった。
この発見に興奮したマスコミや研究者たちの間からは,アイスマンに関するさまざまな憶測が飛び出した。シュピンドラーは彼は災難に遭遇したのだという詳細な説を打ち立てた。それによると,男は故郷の村で起きた戦いで負傷した後,安全な山間部へ逃れた。秋のことで,羊飼いだった男は,夏に群れを連れていく高地の放牧地に身を隠そうとやってきたのだ。傷つき疲れ果てた男は大きな岩の上で永遠の眠りにつき,5000年後にそこで発見された。彼の説によれば,遺体の保存状況が良好なのは,降雪によって遺体をあさる動物から守られ,その後急速に凍結乾燥したからだという。
著者
James H. Dickson / Klaus Oeggl / Linda L. Handley
3人はともに,チロルに住んでいたアイスマンが日常生活に利用していたと考えられる植物に関心をもっている。ディクソンは英グラスゴー大学の考古学・植物系統学教授で,エディンバラ王立協会からニール・メダルを授与されている。これまでに150を超える論文と5冊の著書があり,Plantsand People in Ancient Scotland(Tempus Publishing, 2000)は故カミーラ夫人との共著。エッグルはオーストリアのインスブルック大学の植物学教授。植物考古学の専門家で,TheIceman and His Natural Environment(Springer-Verlag, 2000)の共著者だ。ハンドリーはスコットランドのダンディーに近いインヴァーガウリーにあるスコットランド作物研究所の生態生理学者で,植物や土壌中の炭素と窒素の安定同位体の研究を専門としている。
原題名
The Iceman Reconsidered(SCIENTIFIC AMERICAN May 2003)
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アイスマン/エッツィ/カンバタケ/フリント/入れ墨/南チロル考古学博物館