
徳島大学工学部に入学して1週間で,私は“登校拒否”に陥りました。物理学者になりたかったのですが,「物理では飯が食えないぞ」という高校の先生の勧めに素直に従って工学部へ進みました。しかし,教養科目は私にはつまらなかったからです。
登校拒否中に世の中や科学をとことん自分で考えました。大学で一番ためになったのはこのときの経験です。狙ったテーマを突きつめるという今の私の研究スタイルを築く礎になったと思います。
私がブレークスルーを起こせたもうひとつの理由は,日亜化学工業に入社してからの約10年間にあります。半導体の研究者がまったくおらず,予算も少なかったので,自分で調べるとともに,試料製造に必要な設備をすべて自分で作りました。手を動かしてモノを作ることで発見されるものもあります。今の大学は実験装置はすべて外注しており,ブレークスルーへの道を閉ざしているように思えます。
今の受験制度に毒された若者は早いうちに海外へ行くことを勧めます。受験勉強では研究者に必要な基礎は身につかないどころか,毒にしかなりません。間違った価値観を改めるには海外でショックを受けるのが一番です。40歳を越えてからでは手遅れです。(本文より抜粋)
著者
中村修二(なかむら・しゅうじ)
カリフォルニア大学サンタバーバラ校材料物理工学部教授。20世紀中は不可能とまでいわれた青色発光ダイオード(LED)を1995年に世界で初めて実用化した。このときの発明への対価が少なすぎるとして,日亜を提訴し,企業研究者の処遇のあり方に一石を投じた。