日経サイエンス  2003年6月号

脳をあやつる虫

R.サポルスキー(スタンフォード大学)

 私たちは少し謙虚になったほうがよさそうだ。ある種の微生物は動物の脳に寄生し,神経回路を巧妙に操っている。人間にはとても真似できないやり方で……。

 

 細菌や原生動物,ウイルスは私たちの細胞を乗っ取り,私たちのエネルギーや生活様式をも利用しながら,自分たちを繁殖させていく。しかし,これら寄生体が獲得した特性の中で最も瞠目すべき,そして残酷なものは,自分たちの目的に合わせて宿主の行動を変えてしまう能力だ。

 

 狂犬病ウイルスが一例。宿主を攻撃的にし,唾液とともに新たな宿主の傷口へと侵入する。攻撃性がどんな神経活動に由来するのかを研究している神経生物学者はごまんといるが,実はよくわかっていない。かたや狂犬病ウイルスは,どのニューロンに感染したら宿主が凶暴になるかをすでに「知って」いるのだ。

 

 さらに上手がいる。英オクスフォード大学のバードイ(Manuel Berdoy)らが研究したトキソプラズマ・ゴンディイ(Toxoplasmagondii)と呼ぶ原生動物。ネズミとネコという2種類の宿主の間を渡り歩いて生きている。あらゆる動物に感染可能だが,寄生サイクルを維持していくにはネコに感染する必要がある。

 

 驚くべきことに,トキソプラズマに感染したネズミはネコのフェロモン(におい)に反応せず,ネコを怖がらなくなる。このためネコに容易に捕食され,トキソプラズマはまんまと増殖を続けていく。中間宿主の頭をもてあそび,無防備な粗忽ものに変えてしまう――こんな寄生体はびっくり仰天ものといえる。神経科学者の及ぶところではない。

著者

Robert Sapolsky

スタンフォード大学で生命科学と神経学の教授を務めるほか,ケニア国立博物館の客員研究員でもある。1984年にロックフェラー大学から神経内分泌学のPh.D.を取得。神経細胞死や遺伝子治療,霊長類の生理機能などを研究している。

原題名

Bugs in the Brain(SCIENTIFIC AMERICAN March 2003)

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