日経サイエンス  2002年7月号

細菌が操る性転換

L. D. ハースト(バース大学) J. P. ランダーソン(ニューサイエンティスト誌)

 飼い主の手を噛むな──この言葉は,寄生微生物がその身を寄せて餌食とする「宿主」とのつき合い方をうまく表現している。寄生体には宿主の繁殖に便乗して子の世代へと感染を広げるものが少なくない。このような居候(いそうろう)タイプの寄生者は,とことん悪者になるわけにはいかない。宿主に与えるダメージが大きすぎると,自らの増殖のチャンスも減ってしまうからだ。

 

 居候タイプと対照的なのは,感染期間が短いインフルエンザウイルスなどの病原体がとる戦略だ。病原体にとっては,宿主の長期的な健康状態はどうでもよい。病原体の生き残りは,いかにすばやく次の宿主に乗りかえるか,そのスピードにかかっていて,不幸な宿主の運命とは無関係だからだ。

 

 昆虫やダニ類など多くの無脊椎動物を宿主とするボルバキア(Wolbachia)属の細菌は,居候タイプの代表的な寄生者だ。ボルバキアは宿主の細胞内にすみつき,卵に侵入して次世代へと感染を広げる。ところがこの居候は,先のことわざに反して「雄殺し」「雄の生殖妨害」「雄から雌への性転換」など,さまざまな方法で徹底的に宿主に干渉する。ボルバキアは自らの増殖を宿主に完全に頼っているはずなのに,なぜこのような大混乱を引き起こすのだろうか。

 

 一言でこの問いに答えるなら,ボルバキアは小さな精子にもぐり込めないからだ。卵を通じてしか次世代の宿主に伝えられないため,この細菌の増殖はもっぱら雌の宿主に依存する。雄に感染したものは,そこで死を待つのみ。ボルバキアにとって,雄の宿主は監獄といえる。

 

 だが,自然淘汰は長い時間をかけて,雄に感染して袋小路に迷いこんだボルバキアにも重要な役割を与えた。次世代に伝えられないことが逆に大きなチャンスとなり,進化というドラマのなかで下手な役者よりはるかに重要な役が与えられた。ボルバキアは宿主の生殖を操ることによって,新しい種を誕生させる舞台の演出家となったのだ。

 

 

再録:別冊日経サイエンス221「微生物の脅威」

著者

Laurence D. Hurst / James P. Randerson

2人は英国のバース大学で寄生細菌ボルバキアの研究を続けてきた。ハーストはバース大学の進化遺伝学科の教授で,遺伝システムの進化に興味をもつ。新米の父親となった彼の趣味は,愛犬の散歩と音楽で,とくにベートーベンの後期の作品を好む。最近,料理にも挑戦している。ランダーソンは,バース大学の大学院生として,利己的な細胞内小器官と共生微生物が生物進化に及ぼす影響を幅ひろく解析し,2001年に学位を取得。その後,ニューサイエンティスト誌のライターとしてロンドンに移った。余暇にソウル・ファンクのバンドでトロンボーンを吹く。

原題名

Parastic Sex Puppeteers(SCIENTIFIC AMERICAN April 2002)

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