日経サイエンス  2002年1月号

特集:テロの背後でうごめく技術

タリバン攻撃で揺れる南アジアの核管理

M.V. ラマナ(プリンストン大学) A. H. ナヤール(カイデ・アザム大学)

 2001年9月11日の同時多発テロを受け,米国がアフガニスタンでの軍事作戦を拡大しているなか,国際社会の耳目がパキスタンに集まっている。パキスタンの出方が軍事行動の成否を左右するからだ。9月14日,ムシャラフ(Pervez Musharraf)パキスタン大統領は米国主導の軍事作戦を全面的に支援する姿勢を表明。だが,これを聞いて不安に感じた人も多いことだろう。パキスタンの核兵器は大丈夫なのか――と。

 

 核技術が過激派の手に渡るおそれも拭いきれない。ムシャラフ大統領は国民向けの演説で「核ミサイルを安全に管理することが,わが国にとって最優先課題だ」と強調した。米ブッシュ政権もパキスタン周辺の安全保障や核関連施設の保安強化で協力することを検討しはじめた。

 

 南アジアの核兵器をめぐる懸念が表面化したのは,いまに始まったことではない。水面下では過去3年にわたって火種がくすぶっていた。1998年5月,インドは北西部にあるラジャスタン州の砂漠地帯ポカランで5個の「核装置」を爆発させる核実験を実施。そのわずか3週間後,パキスタンも南西部のチャガイ地方で核実験(6個の装置を爆発)に踏み切った。

 

 両国の核実験からちょうど1年後の1999年5月,カシミール地方のカーギルという町に近い山岳地帯で領有権をめぐって激しい戦闘が勃発した。つばぜり合いはおよそ2カ月続き,死者はインド政府の発表で1300人,パキスタン政府によると1750人に達したという。この戦闘ではインドが1971年以来初めて空軍部隊を展開。パキスタン側も待機中の自軍戦闘機が攻撃されるのを避けるためスクランブル発進させた。パキスタンの首都イスラマバードでは空襲を告げるサイレンの音が響き渡った。

 

 両国の政府高官は核攻撃の可能性を10回以上も匂わして相手を威嚇してきた。相互確証破壊(核抑止理論の1つ。敵の第1撃に生き残り,相手を確実に破壊しうる第2撃をもてば,相互に核兵器を使用できなくなるという考え方)を後ろ盾に,核兵器の保有は平和と安定をもたらすと主張する歴史家や政治学者もいる。だが,この地域を見る限り,平和や安定はその影すらも見られない。

 

 人類はいずれ知恵を働かせて,平和を手にするかもしれない。だがカーギルでの衝突が終わっても,南アジアの核開発競争が幕切れとなったわけではない。インドとパキスタンは核兵器の実戦配備を検討しており,核戦争のリスクが高まっている。パキスタンの政情不安はただでさえ憂慮すべきなのに,アフガニスタンでの軍事衝突という新たな要因が加わり,危険はかつてないレベルまで膨らんでいる。

著者

M. V. Ramana / A. H. Nayyar

いずれも物理学者。平和運動家としてインドとパキスタンの分断を埋める活動にも力を入れている。ラマナはプリンストン大学の科学・国際安全保障プログラムの研究員で,「核軍縮と平和を目指すインド連合」の創設メンバー。インド南部出身で,この地域の伝統音楽に関する著作も多い。ナヤールはイスラマバードにあるカイデ・アザム大学の物理学教授でパキスタン平和連合の共同創設者。恵まれない子どもたちを教育する活動にも力を入れている。科学・国際安全保障プログラムのウェブサイトは,http://www.princeton.edu/~globsec

原題名

India,Pakistan and the Bomb(SCIENTIFIC AMERICAN December 2001)