日経サイエンス  2002年1月号

特集:動き出したポストゲノム研究

遺伝子の個人差を医療に生かす

村松正明(ヒュービットジェノミクス社)

 30億文字のヒトゲノム配列の概要が明らかとなり,ゲノム研究もいよいよ新たな段階に入った。ここでは,遺伝子レベルでの個人差(種内変異)に焦点を当てていきたい。

 

 この世には誰ひとりとして,まったく同じ人はいない。こうした個人差には,遺伝子の違いと環境の影響の両方が効いていると考えられる。遺伝と環境のどちらがどの程度関与しているかは,性質ごとに違うだろう。

 

 ある薬が効く・効かないとか,ある病気になりやすい・なりにくいといった,いわゆる体質の差も,多くの遺伝的な違いが関与していると考えられている。ゲノム解読が終わりつつある今,こうした体質の差を遺伝子レベルで語ることが可能になってきた。それに基づいた「オーダーメード医療」の実現を目標に掲げた研究も進みつつある。

 

 こうした個人差は,遺伝子の塩基配列の違いによるが,その中でもとくに注目されているのがSNP(スニップ:単一塩基多型)だ。ヒトゲノムの解読中に,サンプルによって塩基の文字が1つだけ異なるところがたくさん見つかった。最初はヒトゲノム計画の単なる副産物と考えられていたが,今やオーダーメード医療を実現するための重要な研究材料と考えられるようになっている。

 

 理屈の上では,SNP研究を進めれば,“高血圧になりやすい体質”とか“ある薬が効かない体質”などがわかるようになる。この知識を,予防や診断,治療に役立てるのがオーダーメード医療だ。オーダーメード医療の実現には,特定のSNPと特定の臨床データ(高血圧になりやすい,薬が効かないなど)を結びつける必要がある。

 

 これは,2つの意味で簡単な仕事ではない。1つは技術的な問題だ。例えば,高血圧などといった一般的な疾患では,関係する遺伝子は10数個かあるいはそれ以上あると考えられている。それぞれの遺伝子に数個のSNPがあるとすると,どの組み合わせが臨床的に意味があるのかを見極めるのは,膨大な数を相手にした解析作業となり,何らかの工夫が必要となる。まずその“工夫”に必要な道具を作るところから始めなければならない。

 

 もう1つは,研究者の努力だけでは解決できない要素を含む点だ。SNPと臨床データの関連づけは,多くの人が協力してくれなければ,とても進められない研究である。ヒトゲノム計画に自分のDNAを提供したボランティアは比較的少数だった。読者の中で「ヒトゲノム計画のために試料を提供してくれませんか」と聞かれたことのある人はいないだろう。しかし,SNPと臨床データを結びつける研究では,数万人のボランティアが必要になる。試料提供に承諾するかどうかはもちろん個人の自由だが,誰もが諾否を聞かれる可能性がある。その時のためにも,私たち研究者がSNPをどのように研究に用いるのか,どのような成果が期待できるのかを紹介しておきたい。

著者

村松正明(むらまつ・まさあき)

ヒュービット ジェノミクス社取締役研究所長,医学博士。千葉大学医学部を卒業後,内科医としての研修を受け,その後,東京大学大学院(臨床系)に進学。カリフォルニア州のDNAX研究所でのポスドク研究員,東京大学医科学研究所助手,ヘリックス研究所(官民共同出資の会社)第3研究部長などを経て,2000年4月にヒュービット社の前身であるメディカルゲノムシステムズ社を設立(2001年3月に社名変更),現在に至る。