
2001年のノーベル化学賞に名古屋大学教授の野依良治(のより・りょうじ)氏が選ばれた。米モンサント社元研究員のノーレス(William S. Knowles)氏,米スクリプス研究所教授のシャープレス(K. Barry Sharpless)氏との共同受賞。「不斉(ふせい)合成」と呼ぶ方法で,有用な化学物質を高い効率で合成する技術に道を開いたことが評価された。日本人の受賞は昨年の白川英樹(しらかわ・ひでき)筑波大学名誉教授に次いで2年連続。医薬品など多くの物質の工業合成法として花開いた研究の軌跡をたどった。
授賞理由は,野依教授とノーレス氏が「キラル触媒による不斉合成反応の研究」,シャープレス氏が「キラル触媒による不斉酸素化反応の研究」。
有機化合物では形や組成がそっくりなのに,人間の右手と左手の関係と同様,鏡に映したように対称的な化合物(キラル分子,光学異性体)がある。生物は酵素などを使って有用なキラルだけを巧みに作り分けているが,ふつうの人工合成では両者が半分ずつできてしまう。野依氏は1960年代,一方のキラルだけを合成できる「不斉触媒」のアイデアを発表。1980年代にその実用化にめどをつけ,有用物質だけを量産する技術の確立に貢献した。
この手法は現在,医薬品や香料の生産などさまざまな分野で実用化している。医薬品ではパーキンソン病治療薬や抗ガン作用があるとされる生理活性物質プロスタグランジン,ビタミンEなどの製造技術として実用化。香料でもメントール(ハッカの主成分)の量産にこの手法が使われている。また,必要な化学物質だけを効率よく作れるこの方法は,環境への影響が少ない製造技術としても注目されている。
有用な化学物質だけを選択して合成する技術の開発は化学者にとって長年の夢だった。野依氏は1960年代を振り返り,「有用物質の合成は当時,自然界の反応に任せておけばいいという考えが支配的でしたが,それに我慢がならなかった」(日本経済新聞夕刊2001年4月23~27日連載「人間発見」より)と回顧している。夢の実現を目指して信念を貫きとおしたことが今回の受賞につながった。
キラルは構造上はよく似ているが,生物への働きは大きく異なる。一方が薬になっても,もう一方が毒になってしまうことがよくあるからだ。生物は有用な型だけを作る能力を備えているが,人工的に合成すると,両方の型が混じり合ってしまう。
典型的な例が1950年代に睡眠薬として開発された「サリドマイド」だ。この物質の右手型は鎮静作用があって有用だが,左手型には奇形を起こす作用がある。工業合成では混合物しか作れないため,妊婦が服用して胎児に障害を起こし,悲惨な薬害を招いた。
19世紀のフランスの化学者パスツールはおよそ150年前,人工合成で別々の型をつくり分けるのは無理だと唱え,こうした“常識”を覆そうと果敢に挑む研究者は1960年代当時もまれだった。
野依氏の研究の出発点は,京都大学工学部の助手だった1966年にまとめた成果。野崎一京大教授(当時)との共同研究で,銅とある種の有機化合物を組み合わせた新しい触媒を使うと,右手型と左手型を別々に合成できることを確かめた。
この触媒では狙った物質の10%程度しか作れなかったが,野依氏は「安全性と経済性(の高さ)を考えると,将来は酵素(による化学反応)を超える可能性がある」(「人間発見」より)と将来性を予見。米化学会誌に投稿した論文が拒否されるなど周囲の反応は冷淡だったが,「本質的なテーマだったので,しつこくやり通した」と,くじけずに研究に取り組んだ。
研究が大きく花開いたのは1980年。高谷秀正京大教授(故人)とともに,金属と有機化合物の組み合わせを工夫して「BINAP」という触媒を作りだした。狙った生成物を合成できる割合は当初80%程度だったが,2年がかりで100%まで高めることに成功。これがきっかけになり新たな触媒を次々に開発し,産業応用を目指した研究も広がり始めた。
1983年には高砂香料工業や大阪大学などと共同で,メントールを年間1000トン規模で生産し,世界の需要のおよそ1/3をまかなえる大型工場が完成。それを目の当たりにした野依氏は「パスツールにこの工場を見てもらいたい」と感無量だったという。
一方,ノーレス氏,シャープレス氏らも相前後して触媒の開発に成功。すぐに産業利用が始まった。ノーレス氏は米モンサント社で,パーキンソン病治療薬となる「Lドーパ」を95%以上の効率で合成する技術を開発し,量産に弾みがついた。
受賞が決まった10月10日夜の記者会見で野依氏は「波及効果のある研究でないと意味がない。私の研究は“単純明快,わかりやすく”がモットーだ。わかりやすいことが国際的に認められた理由だろう」と語った。
2001年12月号では,野依氏が「日経サイエンス」1994年11月号に執筆した記事の主要部分を再録した。「化学は面白く,美しい。そして役に立つ」という信念のもと,その実現を目指そうとした野依氏の姿勢の一端が,この記事からも読み取れる。