
有史以来,「心」は大きな問題として人々を捉えてきた。そして,心が脳と関係があるという考えは2000年以上も前のギリシャ時代にすでに出されていた。しかし,心の脳研究が科学的かつ本格的になされ始めたのは数十年前からにすぎない。10年ほど前からといってもよい。そのころから,心の諸問題を脳のレベルで解く方法論が発展し,大きな成果が得られてきたのだ。
私たちの心の問題を脳レベルで解く学問分野をとくに「認知脳科学(cognitive brainscience)」という。認知機能(cognitive functions)をおもな対象とする脳科学だからだ。認知機能は反射や感覚あるいは単純な運動よりももっと高度で,かつ,意識し行動している際に働く心の諸機能のことで,「高次脳機能」といってもよい。広い意味での“脳科学”の歴史は2000年以上もあるものの,つい最近まで,心の問題に関してはほとんど何の成果もあげてこなかった。私たちは20世紀の終わり近くになって,ようやく心の問題を自然科学的に解き得る学問分野としての認知脳科学を獲得し,大きな成果をあげられるようになったのである。
神経生理学や神経解剖学などの個別の学問分野が統合され,「神経科学(neuroscience)」という一大学問分野が生まれたのは歴史的にみれば極めて最近,1970年ごろである。それ以来,神経科学は急速な発展をとげ,認知機能を主要な対象とする認知脳科学という学問分野が出てきたわけだ。神経科学が誕生したころ,その大きな目標に「人間の心を脳レベルで解明すること」があった。当時は,それはいわば「スローガン」のようなもので,意識を初めとする心の諸機能――注意,認識,言語,思考・推論,意図・計画,さらには自我,等々――を神経科学で総合的に扱えるのは困難,少なくともかなり先の話,だと思われていた。ところが,とくに方法論の進歩のおかげもあって,認知脳科学は急速に発展したのである。そして,神経科学の目標からみて,認知脳科学は神経科学の主流だといってもよい。
ここでは,こうした認知脳科学の現状をとくに方法論の観点から概説するとともに,21世紀へ向けた展望をごく簡単に示してみたい。
著者
澤口俊之(さわぐち・としゆき)
北海道大学医学研究科機能分子学分野教授。