日経サイエンス  2000年11月号

ダーウィンと現代思想

E.マイヤー(ハーバード大学名誉教授)

 21世紀が始まろうとしている今,私たちが抱いている世界観とその中での私たちの立場が,19世紀はじめの時代精神からいちじるしく変わっていることは言うまでもない。しかし,この革命的な変化をもたらした源が何かについては,意見の一致を見ていない。

 

 よく出されるのは,マルクスの名だ。フロイトに関しては,賛否両論がある。アインシュタインの伝記作者パイスは,アインシュタインの理論は「物理的な自然現象に対する現代人の考え方を大きく変えた」と,思い入れたっぷりに主張している。しかしパイスは,こう述べた直後に,誇張がすぎたことも認め,「ここは,『現代人』とするよりも『現代の科学者』とするべきだった」と書いている。その理由は,アインシュタインが成し遂げた貢献の全貌を理解するには,物理学的な思考様式と数学の知識を学ぶ必要があるからだという。たしかに,平均的な人々の世界観にはほとんどいかなる衝撃も及ぼしていない,常識ではとらえがたい現代物理学の理論に関しては,このような制約がついてまわる。

 

 ところが,生物学の概念となると,状況は一変する。過去150年間に提出された生物学上の考えの多くは,万人が真実だと思い込んでいたこととまったく相容れないものだった。そうした考えを受け入れるには,意識革命を必要としたのだ。そして,ダーウィン以上に,平均的な人々の世界観を劇的に変えてしまった生物学者はいない。

 

 

再録:別冊日経サイエンス185 「進化が語る現在・過去・未来」

著者

Ernst Mayr

進化生物学史における巨頭の1人。1904年にドイツ生まれ。1926年にベルリン大学を卒業したマイヤーは,ニューギニアでの鳥類調査を行い,理論進化生物学への興味をかき立てられた。1931年に米国に移住し,1953年にはハーバード大学の教授となり,現在は同大学の動物学アレグザンダー・アガシ講座名誉教授。隔離された集団では急速な種分化が起こりうるとしたマイヤーの説は,新しい進化概念として知られる断続平衡説を生む土台となった。20世紀においてきわめて大きな影響力を及ぼした進化学書を何冊か著わしており,米国科学賞,日本生物学賞など多数の栄誉に輝いている。

原題名

Darwin's Influence on Modern Thought(SCIENTIFIC AMERICAN July 2000)