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BEYOND DISCOVERY
日経サイエンス
ビタミンDの謎を解く
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1. イントロダクション
2. 誤った同定
3. 病気の原因を追う
4. 「タンパク質や塩分とも違う物質」
5. くる病に迫る
6. 動物,植物,あるいはミネラル?
7. ビタミンDとカルシウム調整との関係
8. 働きはカルシウム調節だけではない
9. クレジット
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BEYOND DISCOVERY
THE PATH FROM RESEARCH TO HUMAN BENEFIT
■病気の原因を追う
 特定の栄養成分の欠乏が病気につながることを示す初めての確かなヒントは1754年に得られた。この年にスコットランドの海軍医リンド(James Lind)は,壊血病(長期の航海をしている船員に見られる辛く時には命取りになる病気)がオレンジやレモン,ライムのジュースで治療できるばかりか,予防も可能なことを示した。18世紀後半には,英国の水兵たちがリンドの発見の恩恵を享受してライムジュースを飲むようになった。英国の水兵を俗に「ライミー」と呼ぶのはここに由来している。
 
 一方,1700年代後半の英国での産業革命は別の不幸をもたらした。くる病だ。この病気そのものは1600年代半ばの医師たちが初めて記録に残しているが,当時は比較的まれな病気だった。しかし,19世紀には多くの人々が農地での屋外労働生活を捨て,煤煙にまみれた空気の悪い工業都市での工場労働に転じたので,くる病が欧州全体で流行した。くる病の症状は見間違いようのないほどはっきりしている。この病気にかかった幼児の骨は軟骨のように軟らかく,赤ん坊では座ったり,はったり,歩いたりするのが通常よりも遅れる。子どもが成長して体重が増えるにつれて軟らかな骨が曲がり,鳩胸やO脚,X脚といった明らかな障害が残った。くる病の子どもたちにはテタニー(強直性けいれん症)も生じた。腕や脚,喉頭に激しいけいれんが起き,呼吸困難や吐き気,ひきつけを伴う。これは後にカルシウムの欠乏によることがわかったが,この症状は非常に重く,子どもたちが死に至ることもしばしばだった。
 
 19世紀にはくる病の治療報告がぽつぽつ出るようにはなったが,事態はほとんど好転しなかった。例えば1822年,あるポーランドの医師がワルシャワの子どもたちが深刻なくる病にさいなまれていることに気づいた。一方,ワルシャワ郊外ではこの病気はほとんど知られていない。彼はこの2つのグループで比較実験し,くる病を日光浴によって治療できると結論づけている。その5年後,あるフランス人研究者が家庭薬として使われていたタラ肝油によって治癒した例を報告した。しかし,これらの治療法はいずれもあまり関心を呼ばなかった。健康維持にはいわゆる多量栄養素(タンパク質や脂質,炭水化物など)を十分に摂りさえすればよいという医学常識が支配的だったのが一因だ。しかし,ペラグラ病や脚気などの原因を探っていた研究者たちは多量栄養素がすべてではないだろうと疑い始めていた。事実,通常の食品にも知られざる栄養素が含まれていたのだ。
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原文はNASのBeyond Discoveryでご覧になれます。
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